土曜日の雨さんぽ

雨さんぽの日も、「冷たい」とあまり感じない暖かな季節になりました。

 

私は休日の公園が苦手です。

夫は不規則な仕事をする人なので、土日に休みが被るのは珍しいのです。

そのため休日に”パパさん率”の高い公園に行くと

私自身も「いいなぁ」という気になってしまうし、

(その分平日に家にいることがあるのだから無意味な羨望なのだけど)

娘も感じることがあるのか。「おとーさんいつかえってくるー?」と。

たいていその日のうちには帰ってこられないので、

どうやって明るい話題にしようかと言葉を慎重に選ぶ。

 

そうならないように”パパさん率”の低い川へ行って船を見たり、

時々船に乗ってみたり、あとは自転車で少し遠くまでサイクリングしたり。

 

 

でも、雨の日は何だか特別。

そんな思いをしなくて済むのです。

雨の日はとっても楽しいさんぽの日。

 

今日も朝から雨で、

「おかーさんはやくあめさんぽしようよ。あめこうえんもしたい。」

と朝食を摂る前からわくわく。

 

傘を持って長靴で外に出る。

水たまりをバシャンとやるやつや、高架橋の雨漏りしている下で落ちてくる雨を傘で(時々頭で直接)滝行のように受け止めるやつなどの、お決まりの遊びをひとしきり楽しむ。

 

今日は、このお決まり雨遊びを堪能したあとでじーーーーっと飽きること無く

こんな穴を覗いていました。

 

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雨樋の出口

 

我が家は下町で工場が多く、こういった古い建物がたくさんあります。

そんな建物の雨樋から出てくる穴。

とくん、とくん、と不規則なリズムで水が流れてくるのを、しばーらく見ていました。

 

ずっと見ていた娘がぽつり

「あめやんでも おみず でてくるんだねぇ。」

 

あれ、本当だ。いつの間にか雨がやんでいる。

私は全然気が付かなかった。

ぼんやり見つめているだけかと思っていたら、色々なことを感じとっていたのだなぁと気付かされる。

 

シュタイナー教育では幼児の感覚は「開かれている」という言葉で説明するけれど、

このときの娘も、目で見ていただけでなくて、雨の音や、肌の感触を使って

雨の日を感じ取っていたのだなぁ。

まさに全身が感覚器になって世界を感じ取っているんだなぁということを実感しました。

 

 

休日に雨が降るのは大抵の人は残念なことなのだと思いますが、

今日は雨が降ってくれて嬉しい我が家でした。

 

 

私の父も、長年ずっと土日は働き、月曜が休みの人でした。

もしかしたら私の母も、同じような思いをした時期があったのかもしれないなぁ。

ということを、今書いていて思い出しました。

 

 

 

令和3年3月8日、産婆の日

産婆の日(母子と助産師の日)であります。

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日本で唯一、助産師の神様を祀った愛媛県の高忍日賣神社のお守り

助産師会会長の岡本喜代子先生から直接頂いた、大切なお守りです

 

 

お産のこと、子育てのことについて考えると

人間にとって「手を働かせること」「想像力(脳)を働かせること」

この2つは大切にしなきゃいけないことだぞ、と思えてきます。

シュタイナー教育の中でも大切な要素だと思うのですが…

お産の観点から考えても、やっぱり大切にしたいと思う要素に感じます。

 

 

なぜヒトのお産は他の哺乳類に比べて圧倒的に大変なのかといったら

直立二足歩行巨大な脳に依ります。

 

直立二足歩行をすることで産道が狭くなった上に、脳が大きく進化したことで

ただでさえ狭い産道に対して通過する胎児の頭が大きすぎる。

本当にキツキツ。他の哺乳類に比べてスペースに余裕がなさすぎる。

  

(お産をちゃんと乗り越えられるような仕組みが、赤ちゃんにもお母さんにも本来備わっているので、大変ということだけに焦点を当てるべきではないと思うのですが)

 

 

そんな進化をしてまで人間が得たものは、

二本の足で立ち、「手を使うこと」

そして

大きな脳で、「想像力を働かせること」

だなぁと思います。

 

どんな出産のスタイルであれ、せっかくお産を乗り越えたのだもの、

この2つはしっかり育まなければ損な気がしてきます。

 

毎日子どもと一緒に暮らしていると、こどものこの2つが育ってくると、

本当に子供との暮らしは心地の良いものになると感じます。

 

 

ボタンを止めたり、お箸を使ったり、海苔でご飯を巻いたり、

お掃除したり洗濯物を洗濯バサミでとめたり、

乾いた洗濯物をたたんだりといった日常生活の動作は、子ども自身も喜びを感じ

一緒にやると家事の時が楽しいものになります。

 

 何かを自分の手で作り出すような手仕事は、心を豊かにするものと感じます。

 

そして子どもが想像力を働かせて

お話の世界を思い描いて空想にふけている時間や

ごっこ遊びの世界が広がって生き生き遊んでいるのを見ると

こちらまで元気になります。

 

 

 こういう心地よさは「生きててよかったー」につながると、本気で思います。

 

「生きる力を育む教育を!」と言われていますが、

「生きてると楽しい、を伝える教育を」の方がなんだかしっくりきます。

 

そんな心地よい毎日でありたい。

バタバタと過ぎてしまう日々だけれども、少しでもそんな毎日を送れるように努力したいです。

そのためにはやっぱり時間の使い方、段取りの良さ。

子どもと過ごすときはゆったりと、家事や出かける準備などはテキパキと、

このスイッチの切替がなかなかできていないけれども、

生きる楽しさを伝えるためと、心に誓って日々精進!

 

 

 

いいこってなんでしょう

親バカと思われるかもしれませんが。

長女は本当に「いいこ」なのです。

 

そりゃ子どもらしくわがまま言ったり大声出してみたり

ふざけてみたりすることはもちろんありますが。

 

他者を思いやる気持ちや物を大切にする気持ちに、

大人のこっちがハッとさせられるようなことがよくあるのです。

お友達に物を取られても仕返しをせず、「かえりたくなっちゃった」という。

理由を聞くと物を取られたことは一言も言わずに「おなかすいたから。」

そして帰ってから家でわがままになったりすることもなく、次女にも優しい。

 

 

こんなに良い子で、、、大丈夫なのか?

と心配になってしまいます。

 

そんな折、とある保育士向けの講演の内容を少しだけ教えていただいたことが響きました。

 

本当に大切なものは簡単に手放す必要はない。

怒ることを簡単に諦めてしまわない人間へと導くのは、本当に大切な仕事。
「いいこいいこはどうでもいいこ」「いい子とは大人にとって都合のいい子」になっていないか。

 

 

ほうっておいたら、きっと怒ることや大切なものをすぐ手放してしまいそうな長女。

まさに「どうでもいいこ」になってしまわないように気をつけないと。

自分の「イヤ」を大切にしてほしい。

そしてそんな優しい長女のことを、思いっきり大切にしてあげようと思いました。

 

 

こんなことが続いたからなのか。

黙々と手を動かすことがしたくなったようで、

「はり(針)、やりたい。」と長女。

最近次女が動き回るようになってからなかなかできていなかった針仕事。

久しぶりに手を動かしていました。

 

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数珠玉とフェルト。糸を結ぶ以外は長女が

 

手仕事ってこどもにとって、いや人間にとって、大切な作業ではないかと思えてきます。

 

何も針仕事だけが手仕事ではなくて、洗濯物を干したり畳んだり、掃除機をかけたり、

机や床を拭いたり、おもちゃにオイルを塗ったり…。

「お母さんがやっていることは何でも手仕事」と教えていただいたことに感動し、

家事はなんでも長女と一緒にやるようにしていたのです。

それはとっても子どもを生き生きとさせることだと感じます。

でもこうやって何かが作り出される手仕事は、

やっぱりより一層心が豊かになるように思います。

 

 

わたしの手 あなたの手
手は動く 手は働きたい
わたしの手はあなたを助け
あなたの手はみんなを助ける

手は 世界の中に入っていき
人間のために 働く

わたしの手
あなたの手
みんなの手で
世界が動く
世界が変わる
この手の仕事で

 

 

 

入園準備で私自身も色々とチクチクしていますが、

この詩に励まされています。

 

考えることは普通に暮らすこと 考えることは生きること

相沢康夫さんの絵本解説がYouTube

14日(日)午後17時までの限定で公開されていることを教えていただきました。

 

www.youtube.com

最初から最後まで、絵本にはここまで考える余地があったのかと、

じっくりと絵本を読むことの豊かさを教えていただきました。

できたら子どもには、大人が解説して見せるのではなくて

自分の力でこんな絵本の読み方ができるようになってほしいなぁ…。

自分で発見したときの喜びはとても大きなものだと思うので。

そのためにはまず自分が、こういった読み方が絵本にはあるんだよということを知れることはとても大きなことだと思いました。

 

個人的には昔話や超常現象は自分の子どもたちの今の年齢では絵で見せるには早いように感じていて(「このほんよんで」2020年秋号での松岡享子さん特別寄稿で話していらっしゃった内容に納得)今は娘には絵ではなくて言葉だけで伝えています。

 

が、大人である私にとって、相沢さんの解説がとても勉強になりました。

 

「3びきのこぶた」

私は恥ずかしながらウォルト・ディズニーに「改悪」されたストーリーしか知りませんでした。

「生き残るためには知恵を使いなさい」

この教訓を伝えるためには相沢さんのおっしゃるように狼も死ななくてはいけないし、

はじめの二匹のこぶたも、やはり食べられなくてはならないと思いました。

 

ちょっと動画の内容からは離れますが…

生きるためには知恵を使いなさい、と聞いて「津波てんでんこ」を思い出しました。

津波が来たら親や先生のもとに戻ったりせずに、てんでばらばらに高台に逃げろ」、つまり自分の命は自分で守れという三陸地方に伝わる教え。

この教えを徹底していた釜石市では市内小中学生の99.8%が助かり「釜石の奇跡」と呼ばれているそうです。

 

知恵を使う、自分の頭で考える、ということはまさに生きることそのものです。

生きるためには考えなくてはならないのです。

津波だけじゃない。コロナ渦での暮らしのこと、近い未来を考えたらAIの普及する世の中で生きていくということ、自然災害が増えてきている中で生きるということ…。

 

折しも、先年亡くなられた安藤光雅さんの「かんがえる子ども」を読んでおりました。

考えるって、なんでしょう。

 

ー「数学の問題を考える」場合のように出された問題の答えを考えることだけではありません。「考える」ということは普通に暮らすことです。

「晩御飯のことを考える」だけでもたいしたことですし、「子どもを育てることを考える」としたら大事業です。ー

 

とはじまり、

 

ー教師は教えてお金をもらっているけれど、親は一文ももらわないで、子どもを育てています。真剣になって当たり前なのですー

 

とおわるとき、ボロボロっと涙がこみ上げました。

きちんと暮らすこと、心を動かすこと。

考えることを他者に任せないこと。大切にしなくてはならないなぁと思いました。

 

それにしても安野さん。

・子どもは誰でも空想の世界で遊んでいる

・時間や空間のとらえかたはこどもとおとなで違う

・人生の価値観に疑いを持つような時期の子どもとのつきあいは、とても難しい

・ほんとうのことが書いてある本がいい

・自然に「触れる」のではなくて、自然と「一緒にいる」

・自然というものを畏敬の念をもってみる

 

まるでシュタイナー関係の人のように感じるのは私だけですか?

 

以前見学に行ったシュタイナー幼稚園の先生が、

「シュタイナーは特別なものと思われがちだけど、昔から言われているおばあちゃんの教えのような考えに近かったりする。」

とおっしゃっていました。

本当に子どものこと、人間のこと、を考えていると自然と同じような考えにつながるものなのですね。

 

 

さて震災から10年。節目の時に「生きること」「考えること」について考えることができてよかったです。なんだか日本語が変?

 

 

おちびさんのお隣は、やさしさん

長女がめずらしく「らくがき」をしました。

 

紙ではなく、おもちゃ、おもちゃ棚、木製スタンドやいたるところに。

 

長女は本当に聞き分けがよくて、こんなことは今までしなかったし

シールをベタベタとあちこちに貼るようなこともしないし。

前にうっかり壁に書いてしまったときには

「ここは借りているおうちだから大切に汚さずに使いましょう」

という話をよくよくして、長女も分かってくれていたのです。

 

そんなもんで珍しすぎて、発見した時に思わず驚いて声を上げてしまいました。

 

「え!?これ、長女ちゃんがかいたの?どうしたの?」

 

それを聞いた長女

はじめは「えへ、かいちゃった」という表情だったのが

 

「あれ」

 

「しまった」

 

「やってしまったのね、わたし」

 

とみるみるうちに表情が曇っていって、今にも泣きそうなところで

とりあえずぎゅーしよっか、と抱っこしながら「うわーん」と泣きじゃくる。

 

その間どうやってこの場を乗り越えようかと頭を巡らせる。

考えてみたら壁や床には書いていないし、

おもちゃもおもちゃ棚も木製スタンドも、ぜんぶ娘のものなのだ。

 

「わるいことじゃない」「紙じゃないからびっくりした」「木に描いてみるのも、紙と違っていいねぇ」ということをとりあえず伝えると、

 

長女の目にカレンデュラオイルが目に止まったようで、

「いいにおいのオイルしたい」

というのでオイルを手にとって手遊びをしました。

 

よくこのブログで紹介しているごほんのゆびの手遊びです。

www.youtube.com

 

遊び終えると長女、

「なんでやさしさん(薬指)なのかなぁ。」

 

そして小指を撫でながら

「おちびさん(小指)にいいこいいこよ〜ってするからかなぁ。」

 

わぁ、ほんとうだね。といって長女をいいこいいこしました。

小さい子の隣は、優しい人がいてほしいね。

いつも次女に優しい長女。自分も本当はもっとお母さんに甘えたいよねぇ。

 

 

 

さて、なんで急に落書きしたのだろう??

最近次女が蜜ろうクレヨンであちこち机やパソコンに書いてしまっていたから?

一種の赤ちゃん返り?

と色々と考えるが、寝かしつけをしたあとに帰ってきた夫と話した結論は、

 

「書いてみたら楽しかったから。」

 

確かに、木に描いてあると紙と違って色の雰囲気だったり、表情だったりが変わって面白いのです。

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たしかに楽しそうな筆の走り

 

これは、消してしまうかそのままとっておくか、悩むね〜なんていいながら夫と眺めていました。

「明日一緒に消そうって誘ってみよう。」と夫。

こういうとき夫が楽しそうに誘ってくれるので、いつも心が軽くなります。

ありがたや。

 

 

 

 

子どもの「なんでなんで」

長女の「なんでなんで期」はそれはもうとにかく猛烈!と感じました。

かれこれ1年位「なんでなんで」と言っております。

だいぶもう慣れてきたのですが、始まった頃は「何億回言ってる?」と思いました。

今でも1日に少なくとも100回は言っている気がします。

もういっそのこと、一生そのくらい疑問を持ち続けてくれてもいいかも、と思います。

 

 

ちょうど「なんでなんで」に悩み始めた頃に、

ラヒマ・ボールドウィン・ダンジー著 合原弘子訳「親だからできる赤ちゃんからのシュタイナー教育」を読みました。

こどもの絶え間ない質問に対して親は、合理的・科学的な答えをしがちだが、そういった概念的知識はこどもの理解できるレベルをはるかに超えている。

「なぜお日さまは明るいの?」

という質問に対して、気体が燃えているとか、紫外線といった言葉を使わずに、

「木や草を大きくさせ、私たちを元気にしてくれるためよ」と答えることで十分満足するという。

たしかに、自分が子供の頃を思ってみたらそうかもしれない。

 

 

 

 

おばあちゃんには

「なんで雨がふるの?」という質問に

 

あめを あげましょ つばさ ひろげ

のどがかわいた おはなたちに

 

とお歌を歌って教えてもらっていました。

 

 

「なんでなんで」に対して図鑑で教えてあげることもいいかもしれないけれど、

こんな風に全身で世界とつながりを感じられる答え方って本当に素敵です。

 

 

いろんな大人に質問をしまくる長女の中では、どうやらランキングがついているようです。

お母さんに聞いてみて、納得しなかったらお父さん。

それでもだめなら、おじいしゃん。

という具合です。

 

つまりランキング第1位は、おじいしゃん。

 

 

科学者おじいさんはいつも素敵な教えをくださいます。

 

◎乾いた洗濯物を見て長女

「せんたくもののおみずはどこにいったの?」

 

おばあちゃん「おそらにいってまた雨になって降ってくるよ。」

おじいさん「形が変わることはあっても、無くなってしまうものは何一つないんだよ。」

 

 

◎ひらひら落ちる落ち葉を見て長女

「どうしてはっぱは落ちてくるの?」

おじいさん「葉っぱは木のうんち。木がいらなくなったものを葉っぱに集めて下に落とす。うんちと言ったら綺麗じゃないかな。木の汗かな。」

 

◎公園で桂の木の近くを通ったとき

「なんでヤクルトのにおいがするの」

「桂の木のにおいだよ。黄色い葉っぱよりも、茶色い葉っぱのほうがよく匂いがするよ。」

 

 

 

大変ながらも楽しい「なんでなんで期」。

長女が「なんで」と言ってくれるおかげで私も感動することがたくさんあります。

こうやって色々な人からたくさんの優しい声掛けをもらっているから「なんで」を安心して言えるのかも。

 

質問しても、理解しにくい概念的な内容で「子どもにはまだ無理。大人にならないと理解できないだろう」というようなメッセージが裏にありそうな答えばかりを聞いていたら、

もういいや、聞くのやめよう。と思ってしまうかもしれない。

というか、自分がそうだったような気がしてきます。

 

今の目標は、「なんでなんで期」をできるだけ長ーく続かせてあげることです。

 

結局、性教育

SHELLYさんのyoutubeチャンネルがあることを初めて知りました。

しかも、性教育チャンネル!

「人の運転する車に乗るのではなくて、自分でハンドルを握って

いろいろ選択肢があるなかで自分でコレ!と思ったものをみつけて進んでいくために

必要なのは結局、性教育!」

 

すごいすごい、本当にそう。

girls empowerment という言葉を使っていて気がついたけど、

助産師の仕事って全てがgirls empowerment だなと思う。

産婦さんのエンパワメント、だけでなくて

お母さんたちのエンパワメントも必要だし、若い女の子ももちろん、子育てを終えた世代の女性達も。

その大切さを知ったのは開業助産師が地域で幅広く貢献している様子を見たから。

だから助産師になりたいと思ったんだった。

 

そのいちばん根源にあるのは確かに結局、性教育

 

妊娠の経過とか、受精の仕方とか、そういうことをはじめて知ったのが不妊治療だった

と話していたのですが…。

確かにそうなるのか。自分は助産師免許をとってから妊娠したからこれが普通と思ってしまっていたけれど、そうじゃないよね。じゃあどこで知るのか。

姉妹がいたら話しやすいよね。お母さんと話す人ももちろんいると思うけど、

そうじゃなかったらお友達かもしれない。

いや、もしかして情報源がネットにしかない人もいるのかも。

 

これって専門家だけじゃなくて、すべての人にとって大切な知識じゃない?

少子化の根深い原因って、こんなところにもあったりして…。

 

 

SHELLYさん、三姉妹の末っ子であり2歳差の女の子のお母さんということに

共通点があり勝手に親近感を持ってしまいます。

出産のとき一人目は逆子で経腟分娩、二人目は水中出産をされたそうです。

逆子でも経腟分娩ができるようにとにかく調べて、英語の論文まで読んで、

信頼できる先生を選んだそうです。

 

お産の体験を聞くと「辛かった、話したくない」という人も多いと聞いたことがあるのですが

その根本の根本には性教育の問題がもしかしたらあるのかもしれないなぁ。

「不安」は身体を緊張させて、交感神経優位になることで痛みを感じやすくします。

妊娠や出産の知識があることで、その不安のひとつでも取り除けられたらいいのに。

 

 

すべての女性に知識と選択肢を!!

 

 

www.youtube.com