不思議ちゃんてわけじゃないのよ
子どもの絵、どんどんたまります。
「幼い子どもの絵は出来栄えを意識するものではなくて描くこと自体に意味があるから」とあまり取っておこうと考えてはいなかったのですが…。
やっぱりもったいなくて将来見返すようにスキャナーで取り込んでみたり
原画もいくつか取っておいたり。
最近お絵描き上手のおじさん、おじいさんに影響されてか、
そして新しい画材を手にしたせいか、
どんどんどんどん絵がたまるように。
あまりにもたまっていくので、その絵を布をかけたついたてに置いてみたら、美術館ごっこができました。
「美術館でなにか売ろう!」と長女があれこれ物を運んできて、
最終的にはお店屋さんになりました。
…ミュージアムショップ?
さてこの美術館に飾られている一つの絵
年末にこんなお話をしながら描いていました。
「赤ちゃんを生むベッドなの。タイヤ付きなの。」
「赤ちゃん生むときはタイヤが動かないようにしておくの。」
(タイヤの横に線を引きながら)
「病院の人が持つ棒が付いてるベッドなの。」
(頭側の緑の取っ手を書きながら)
・・・
長女は次女の出産のときに立ち会っていたので、赤ちゃんが生まれるのを見たことがある。
ただそのときは助産院で、和室だったのだ。
タイヤ付きのベッドを見ることはなかった。
我が家は子どもが起きているときにテレビをつけない。
医療ドラマやニュースなどで病院のベッドを見たとはなかっただろうと思う。
ありがたいことに本人も家族も今までに入院をすることがなかったので、
大きな病院にかかることなく、クリニックにあるような簡易なベッドしか見る機会はなかった。
長女がタイヤ付きのベッドを見る機会があったとしたら、自分が生まれたときだ。
その時はLDRの病室で、タイヤ付きベッドがそのまま分娩台になる病院だったのだ。
・・・
そんなわけで、この出来事には不思議しかない。
なんで知ってるのと聞いたって、知ってるから知ってるとしか言いようが無いようで。
今回も、頭じゃないところで理解する話だなぁと思うに至る。
さてさらにおもしろい(?)ことに、
両親にこの話をしたら、父親がある話を打ち明けてくれた。
(打ち明けると言うか、今まで特に話す機会がなかっただけなのだろう)
父親の母親(私が幼い頃一緒に暮らしていた祖母。10年以上前に他界。子どもたちにとってはひいおばあちゃん)が、父が小さい頃に何度か繰り返し聞かせてくれた話があったのだそう。
それは、こんな話だ。
祖母が幼かったとき、「両親の結婚式に自分もその場にいたんだよ」ということを話したら周りの大人に笑われた。なぜ笑われるのかが分からなかった。
両親の結婚式は祖母の生まれる前に行われたことなので、「うまれてないのだからそんなことあるわけない」と周りの大人は笑ったのだろう。
でも、祖母にはそれがなぜ笑われることなのか分からなかったのだそう。
幼い父はどうしてそんな話を自分にするのだろう、と思っていたという。
母は長年父に連れそっているが、その話を初めて聞いたそうだ。
90年近くの時を経て、「笑われるような話じゃないよ」と私は思う。
そのために祖母は幼い父に話していたのかもしれないなぁと思ったり。
スピリチュアルな人間ではないのですが、頭じゃないところで理解しないと、どうにもつじつまが合わない話が存在することには頷きます。
不思議ですねぇ。
祖母も、うちの長女も、べつに”不思議ちゃん”ってわけじゃないのよね。
ちなみに長女の話に補足
天の国にはまだまだなくならないくらい、いっぱい赤ちゃんがいる。
そこにいるとき次女ちゃんはとなりにいた。
うみのおばあちゃんがぽーんと投げると、お母さんのお腹に飛んでいくんだよ。
結構強そうに投げる真似をしてくれました。笑