家族が増えると対人関係はどう増える?

最近長女が
「またじょさいん(助産院)であかちゃんうみにいきたいねー」
という。


正直私は2人で十分かな〜と思ってはいたのだけど。長女にそう言われると

「いいね、今度はどんな子かな。男の子かな、女の子かな。」と答える。
すると長女は
「うーん、次女ちゃんもういっこほしい。」

 

妹のことが大好きなようです。

 

そして、助産院での出産に立ち会った長女にとって、

「お産は楽しいイベント」という印象に残ってくれていることが何よりうれしく思います。

 

 

さて、3人目とはなかなかハードルが高いと感じます。

3人子育てをなさっている世の中のお母さま方、本当に尊敬します。

 

次女を生んで子どもが2人になったら、

ひたすらかわいい子どもの成長に頭が追いついていなくて、

次女ちゃん、いつの間におおきくなったの!?

長女ちゃん、こんなにお姉さんになっちゃったの!?

と頭の中が軽くパニックを起こしています。(いい意味で)

 

3人目のことを考え始めると、思い出すのはこの話です。

家族構成員がひとり増えると、家族内の関係の数は、どうふえるか??

1人増えれば1つ増える、という単純なものではないのです。

これこそ「なんとなく分かっていること」かもしれません。

 

家族内での人との関係の数は、n(n+1)/2になっていくのです。

(nは家族の人数です。)

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図にすると分かりやすい

 

家族がひとり増えると、関係はぐっと増えます。

3人家族では3こだった関係が、4人家族では6こ、5人家族では10こも!

 

人との関わり方を学ぶのは、人と関わることでしか育たないという性質がありますので

やっぱり3人目、いいなぁ〜ほしいなぁ〜と思うのです。

 

私は祖父母と同居で7人家族で育ったので、実に21この関係の中で育ちました。

ありがたいことです。それを思うとやっぱり子どもたちにも、沢山の関係の中で育ってほしいなぁと願います。

 

それに、5人家族の図を見てみると…

 

素敵なお星さまになっています ✩ !

 

 

 

 

バースプラン、バースレビュー②

さて、後半のバースレビューです。

前半のバースプランについてはこちら。

lifewithchild.hatenablog.com

 

なんでバースレビューをするのか??

教科書的には「お産のわだかまりを解消すること」、

その上で「前向きな姿勢で育児に挑めること」

ですが、私はもっとその先にある大切な意味もあると考えています。

 

それは、子どもが大きくなったときに自分が生まれたときのことを話してあげること。

しかもできるだけポジティブな要素を伴って。

それこそが性教育の一番の始まりであって、いちばん大切なことだと思うのです。

性教育と聞くと身構えてしまうお母さんもいらっしゃるかと思いますが、

生まれてきたときのことやその時の気持ちを伝えてあげる時間を

親子でもってもらいたいなぁと思います。

 

 

 

バースレビューはできればお産についた助産師が産後2,3日目に

一緒に話し合えると良いと思いますが、病院の状況によってできないこともあるかもしれません。(お産当日は是非ゆっくりと休んでください。)

 

なので、まず自分で覚えている限りのことを紙に書いておくことをオススメします。

そうすると、あれ、このときの助産師さんの言葉ってどういうことだったかな、

なんでこういう状況になったのかな、ということを医療者と振り返りやすくなると思います。

書いたものをもしよければ、医療者に見せてあげると、より振り返りがしやすいと思います。

 

 

産後2,3日目、遅くともできれば入院中がおすすめです。

退院してしまうとお母さん自身も家事や育児で忙しくなってどんどん忘れてしまいますし、

もしわだかまりがあった場合にはマイナスなイメージだけが残ってしまうことがあるかもしれません。

 

入院中に赤ちゃんが寝ていて、もし身体の疲れ的にも書けそうな状況やタイミングがあったら、記録してみてください。(記録できる手帳やノートを、入院のときの持ち物に入れておくことをおすすめします!)

 

 

ちなみに私が生まれたときのことは、母に聞いてもいつも

「わすれちゃったよ〜」と返ってくるので、正直かなり切ないです。

でも「三姉妹のうち誰のときだったか覚えてないけど(驚愕)、

助産師さんがずっと腰をさすってくれてて安心したのは覚えてる」と

前向きなことだけを話してくれるので「母の良いところだな」、と思います。

そしてそんな話を聞いていたので助産師という職業に憧れをもっていたのもあります。

 

 

さて自分の書いたお産の記録を写真に撮って載せようとも思ったのですが、かなり個人的な内容なので控えます…。

入院前からのことをけっこう長々と記録しました。

起こったこと、見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたこと…とにかく覚えているうちに走り書きでダダダーっと書きました。

 

 

長女を出産した時、さあノートに記録しよう と思ってページをめくったら、

夫が先にこんなものを書いていました。

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夫から

 

 

世の中の男性の方々には是非、お産後の女性にこういった言葉をかけてあげて欲しいなと

切実に願います。

 

 

バースプラン、バースレビュー

シュタイナー幼稚園の入園前の書類には、

妊娠中や出産の時のことを書く欄があります。

(園によって色々だと思いますが)

「妊娠期から子育ては始まっている」という考えが当たり前としてあるのですね。

 

長女がお世話になる予定の園でも、妊娠してから今に至るまでについての様子を書く欄が大体5行分くらい、ありました。

(本場ドイツではものすごく長いレポートを書く園もあるらしい)

 

 

ところが、あるシュタイナー園では、入園前に妊娠や出産について書いてもらっていたところ

「あまりにも出産がつらかった」ということを欄外にはみ出すほど長々とお書きになるお母さんが多数いらっしゃって、もう書いてもらうのをやめた、という話を教えてもらったことがあります。

 

 

助産師としてその話を聞いたとき、とても悲しくなりました。

お産を少しでもよくするためにできることってなにかと自分なりに考えると、

「バースプラン」「バースレビュー」かなぁと思い、ここに書こうと思いました。

 

妊娠中に生活リズムを整えたり体力づくりをすることももちろん大切だけど、

バースプランをたてることで考えることが前向きになって行動も変わってくることってありますね。

 

もちろん出産する施設にもよるし、その時の状況によって叶わないことも十分にありえます。

 

でもバースプランを考えておくことは、前向きな姿勢になります。

前向きな姿勢って、助産学科の教科書にも載っているくらいとても大切なことです。

出産には大切な3つの要素があり、「胎児・娩出力(陣痛といきみ)・産道」を

「分娩の3要素」といいますが、これに「母体精神」を付け加えて「分娩の4要素」と説明している教科書もあります。心と身体はつながっているんですね。

 

 

 

 

さて、そうはいっても「バースプランを〇〇週までに書いてきて」と言われても、

イメージが湧きにくいと思います。

そもそも何ができるの、と思いますよね。

よく音楽を聞くとかアロマを焚くとか誰に立ち会ってもらうなどがありますが…

 

出産時に行われるケアはWHOでは推奨されているのか、されていないのか、をもとに考えてみるのもいいかなと思います。(22年ぶりの改定です!)

 

www.amazon.co.jp

「WHO ガイドライン ポジティブな出産体験のための分娩期ケア」と検索するとPDFになっているのを見ることもできます。

このガイドラインでは不必要な医療介入は推奨しない(例えば慣例的な会陰切開など)とする一方で、予防的に必要な医療は推奨しています。(例えば異常出血の予防としての子宮収縮剤の投与など)

 

事前にこういうことを知っておくことで、

じゃあ、「自分はどうしたいか」を医療者とどのくらい建設的に話し合えるか、

ちゃんと事前に対話ができるかが大切かなと思います。

産科はどんどん集約化されていますので、大きな病院ではどうしても医療者が忙しいという現状があります。

じっくり話を聞いてあげたい、という医師、助産師はもちろん沢山いますが、その時間が取れないという現状もあるのは確かだと思います。

そういう中でも医療者との対話がスムーズにできるようにできることを考えておくことは、

自分を守ることになります。

 

そうすることで医療者との間に起きるお産のわだかまり

少しでも起こりにくくできるのではないかな、と思います。

 

 

ちなみに私は一人目、二人目の出産でそれぞれ一つだけ希望しました。

一人目のときは「早期母子接触(いわゆるカンガルーケア)がしたい。」

二人目のときは助産院だったので「自分の手で赤ちゃんを取り上げたい。」

でした。もちろん状況によって難しければ諦める、ということは事前に話し合いました。

 

事前に考えるのも楽しい、

実際はどう転ぶかな〜とドキドキするのも楽しい。

できればそういう前向きな気持で乗り越えていきたいですね。

 

 

長くなってしまったので、バースレビューについてはまた次回に。

 

 

 

あと最後にアミプラさん、好きです。

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シンプルなのに難しい、だからシュタイナー幼稚園に決めました

幼稚園選び、悩みに悩んだ末、

少人数が集う小さな小さなシュタイナー幼稚園にお世話になることを決めました。

 

シュタイナー園4園、モンテッソーリ園2園、近隣私立幼稚園3園、計9園を見学しました。

そして小さなシュタイナー幼稚園へ通うため、引っ越しも決意しました。

 

それを聞いた人からは「教育ママ」や「変わった親」と、思われるかもしれませんが…。

なにも、「天才になってほしい」「歴史に名を残してほしい」「時代を引っ張る人になってほしい」と願っている訳ではありません。

 

子どもに願うことは、子を授かったときにどんな名前にしようか夫婦で話し合ったときから変わらず、「心身ともに健康であること」それだけなのです。

 

「シュタイナー幼稚園へ通ってよかった」

と実感できるのは、もしかしたら在園中でもなければ、

大学進学が決まったときでもなく、就職内定が決まったときでもなく、

もっともっと先の、30代あるいは40代や50代かもしれません。

いや、本人は実感することもないかもしれません。

 

それでも、この教育が、子どもとその周りの成長を支え

大人になってからも頭や身体の片隅で本人をそっと支えてくれると心から信じています。

 

そう思えるのは、夫が幼少期にシュタイナー教育に触れて、

熱心にシュタイナーを学んだお母様のもと育った人だからかもしれません。

本人はそんな気は全く無いでしょうが、シュタイナーの考えに大きく支えられている人だと感じます。

 

 

でも本当に引っ越しまでして通うことなのか?

シュタイナー幼稚園でなくても、シュタイナーのことを全く知らない人でも、

素晴らしい保育をしていらっしゃる先生は、もちろんたくさんいると思います。

 

 

シュタイナー幼稚園にお世話になることを決めた一番の決め手は、

素晴らしい担任の先生とオイリュトミーの先生に出会ったから、

そして園舎に入るなりすぐそこに自分の居場所を感じて、のびのびと遊び始める娘を見たからです。

大抵幼稚園の見学に娘を連れて行くと、私はいいなと思う先生や園でも、

本人はじっと周りを見つめて自分の居場所をどこかに「探す」ことから始めていました。

そして隅の方で遊び始めるけど、周りのことをいつも忙しく観察している。

「のびのび」にいたるまで時間がかかるのです。

 

しかしお世話になると決めた園では、もう入るやいなや、

まるでおばあちゃんの家に遊びに来たかのような足取りで、

余計なことを考える間もなく自分の世界を広げて遊び始めました。

(おうち以外では珍しく、鼻歌まで歌いながら!)

この「私は受け入れられている」という感覚を子どもに持たせてくれる空間づくりは、

先生や保護者の方々が丁寧に作り上げていらっしゃる尊いものだと思うのです。

 

よくのびのび育てましょうとか、自由にさせるのがいいのね、と言われますが

こどもの「のびのび」を引き出すためにはしっかりと子どもをよく観察してくれる人や環境がないと難しいのではないでしょうか。

そして「自由」とは、シンプルなようで意外と一番難しいことのようにも思えます。

自由放任は、子どもをスポイルすることになりかねない。

 

 

ほるぷ出版「うれしい気持ちの育て方 絵本と私とシュタイナー」でこのシンプルなようで難しいと感じてしまう現状になっているわけを、言い当てている説明があったので引用させていただきます。

 

ー私たちは「反なになに主義」「✗✗にノーを言うための○○」で考える傾向があります。「自然から切り離されたこどもの野生を取り戻すために、たくましいどろんこ保育をしましょう」「教育の管理主義、権威主義が強まってしまったので、子どもにもっと自由を与えましょう」という具合です。

「今のままで大丈夫かな?」という疑問が通奏低音のように流れているとき、これらの現状打開策が頼もしく思えます。そして「自然」とか「自由」と言う言葉に行き当たって安心して満足すると、それ以上考えることをやめてしまいます。ー

 

こどもをよく観察して「考えることをやめていない人」であれば、

シュタイナーを知らなくとも素敵な保育をしていらっしゃると思います。

(コロナ前によく行っていた支援センターは、そんな保育士さんが多くいらっしゃいました。)

そういう意味では、「自然」や「自由」を謳っているだけの園よりも、

「考えることをやめていない保育士さん」のいる認可保育園のほうが

ずっとシュタイナー的な保育かもしれません。

保育園か幼稚園か、シュタイナーかそうでないか、ということではないのですね。

 

とはいえシュタイナー園である、ということは一つの選ぶ基準にもなります。

私が見聞した方々(会って話を聞いただけでなく本を読んだり)の統計なのでどれほど当てになるかわかりませんが、

シュタイナー幼稚園の先生方は「公立幼稚園にいました」「どろんこ保育をしていました」「自由保育をしていました」「モンテッソーリを学んでいました」など、

いろいろ経験された後に、「なにか違うかも」という感覚を大切にして考えた末にシュタイナーに辿り着いた方が多いように感じます。

それだけでも、信頼が置けると思っています。

 

 

そして最後に…、

これは書こうかどうか今でも悩んでいるのですが、どこかで(かつ現役で子育てをしている保護者の側から!)発信する人がいないとなぁとも思うこと。

 

モンテッソーリ教育がとても流行っているようです。

藤井聡太棋士の影響か、GAFAの影響か。

しかし モンテッソーリ = 早期教育 のように広まっているような感覚に、違和感を覚えます。

モンテッソーリも素敵な教育法だと思います。こちらはそこまで深く勉強していませんが。

でも私が勉強して感じたのは早期教育とは真逆だと思うのです。

シュタイナーと同じように身体を通して学ぶことを大切にしています。

 

見学したモンテ園で感じた違和感は、「主体性を重んじる」といいながら

課題(おしごと)ができない子どもに対する先生の顔がすごく怖い、

「お受験対策して差し上げます」「しつけをして差し上げます」という謳い文句で園児を獲得しようとする、、、、

 

これらのことにはどうしても違和感、不信感が拭えません。

とはいえ、需要があるから存在しているのでしょう。

否定ばかりするのも良くないですが、保護者の側からの発信者の1人になってみました。

 もちろんすべてのモンテッソーリ園がそうなわけではないと思いますが。

 

以上、幼稚園選びを通して感じた一個人の感想を、本当にまとまりなく書いてみました。

気分を悪くされた方がいらっしゃったらごめんなさい。

そして最後まで読んでくださりありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

土曜日の雨さんぽ

雨さんぽの日も、「冷たい」とあまり感じない暖かな季節になりました。

 

私は休日の公園が苦手です。

夫は不規則な仕事をする人なので、土日に休みが被るのは珍しいのです。

そのため休日に”パパさん率”の高い公園に行くと

私自身も「いいなぁ」という気になってしまうし、

(その分平日に家にいることがあるのだから無意味な羨望なのだけど)

娘も感じることがあるのか。「おとーさんいつかえってくるー?」と。

たいていその日のうちには帰ってこられないので、

どうやって明るい話題にしようかと言葉を慎重に選ぶ。

 

そうならないように”パパさん率”の低い川へ行って船を見たり、

時々船に乗ってみたり、あとは自転車で少し遠くまでサイクリングしたり。

 

 

でも、雨の日は何だか特別。

そんな思いをしなくて済むのです。

雨の日はとっても楽しいさんぽの日。

 

今日も朝から雨で、

「おかーさんはやくあめさんぽしようよ。あめこうえんもしたい。」

と朝食を摂る前からわくわく。

 

傘を持って長靴で外に出る。

水たまりをバシャンとやるやつや、高架橋の雨漏りしている下で落ちてくる雨を傘で(時々頭で直接)滝行のように受け止めるやつなどの、お決まりの遊びをひとしきり楽しむ。

 

今日は、このお決まり雨遊びを堪能したあとでじーーーーっと飽きること無く

こんな穴を覗いていました。

 

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雨樋の出口

 

我が家は下町で工場が多く、こういった古い建物がたくさんあります。

そんな建物の雨樋から出てくる穴。

とくん、とくん、と不規則なリズムで水が流れてくるのを、しばーらく見ていました。

 

ずっと見ていた娘がぽつり

「あめやんでも おみず でてくるんだねぇ。」

 

あれ、本当だ。いつの間にか雨がやんでいる。

私は全然気が付かなかった。

ぼんやり見つめているだけかと思っていたら、色々なことを感じとっていたのだなぁと気付かされる。

 

シュタイナー教育では幼児の感覚は「開かれている」という言葉で説明するけれど、

このときの娘も、目で見ていただけでなくて、雨の音や、肌の感触を使って

雨の日を感じ取っていたのだなぁ。

まさに全身が感覚器になって世界を感じ取っているんだなぁということを実感しました。

 

 

休日に雨が降るのは大抵の人は残念なことなのだと思いますが、

今日は雨が降ってくれて嬉しい我が家でした。

 

 

私の父も、長年ずっと土日は働き、月曜が休みの人でした。

もしかしたら私の母も、同じような思いをした時期があったのかもしれないなぁ。

ということを、今書いていて思い出しました。

 

 

 

令和3年3月8日、産婆の日

産婆の日(母子と助産師の日)であります。

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日本で唯一、助産師の神様を祀った愛媛県の高忍日賣神社のお守り

助産師会会長の岡本喜代子先生から直接頂いた、大切なお守りです

 

 

お産のこと、子育てのことについて考えると

人間にとって「手を働かせること」「想像力(脳)を働かせること」

この2つは大切にしなきゃいけないことだぞ、と思えてきます。

シュタイナー教育の中でも大切な要素だと思うのですが…

お産の観点から考えても、やっぱり大切にしたいと思う要素に感じます。

 

 

なぜヒトのお産は他の哺乳類に比べて圧倒的に大変なのかといったら

直立二足歩行巨大な脳に依ります。

 

直立二足歩行をすることで産道が狭くなった上に、脳が大きく進化したことで

ただでさえ狭い産道に対して通過する胎児の頭が大きすぎる。

本当にキツキツ。他の哺乳類に比べてスペースに余裕がなさすぎる。

  

(お産をちゃんと乗り越えられるような仕組みが、赤ちゃんにもお母さんにも本来備わっているので、大変ということだけに焦点を当てるべきではないと思うのですが)

 

 

そんな進化をしてまで人間が得たものは、

二本の足で立ち、「手を使うこと」

そして

大きな脳で、「想像力を働かせること」

だなぁと思います。

 

どんな出産のスタイルであれ、せっかくお産を乗り越えたのだもの、

この2つはしっかり育まなければ損な気がしてきます。

 

毎日子どもと一緒に暮らしていると、こどものこの2つが育ってくると、

本当に子供との暮らしは心地の良いものになると感じます。

 

 

ボタンを止めたり、お箸を使ったり、海苔でご飯を巻いたり、

お掃除したり洗濯物を洗濯バサミでとめたり、

乾いた洗濯物をたたんだりといった日常生活の動作は、子ども自身も喜びを感じ

一緒にやると家事の時が楽しいものになります。

 

 何かを自分の手で作り出すような手仕事は、心を豊かにするものと感じます。

 

そして子どもが想像力を働かせて

お話の世界を思い描いて空想にふけている時間や

ごっこ遊びの世界が広がって生き生き遊んでいるのを見ると

こちらまで元気になります。

 

 

 こういう心地よさは「生きててよかったー」につながると、本気で思います。

 

「生きる力を育む教育を!」と言われていますが、

「生きてると楽しい、を伝える教育を」の方がなんだかしっくりきます。

 

そんな心地よい毎日でありたい。

バタバタと過ぎてしまう日々だけれども、少しでもそんな毎日を送れるように努力したいです。

そのためにはやっぱり時間の使い方、段取りの良さ。

子どもと過ごすときはゆったりと、家事や出かける準備などはテキパキと、

このスイッチの切替がなかなかできていないけれども、

生きる楽しさを伝えるためと、心に誓って日々精進!

 

 

 

いいこってなんでしょう

親バカと思われるかもしれませんが。

長女は本当に「いいこ」なのです。

 

そりゃ子どもらしくわがまま言ったり大声出してみたり

ふざけてみたりすることはもちろんありますが。

 

他者を思いやる気持ちや物を大切にする気持ちに、

大人のこっちがハッとさせられるようなことがよくあるのです。

お友達に物を取られても仕返しをせず、「かえりたくなっちゃった」という。

理由を聞くと物を取られたことは一言も言わずに「おなかすいたから。」

そして帰ってから家でわがままになったりすることもなく、次女にも優しい。

 

 

こんなに良い子で、、、大丈夫なのか?

と心配になってしまいます。

 

そんな折、とある保育士向けの講演の内容を少しだけ教えていただいたことが響きました。

 

本当に大切なものは簡単に手放す必要はない。

怒ることを簡単に諦めてしまわない人間へと導くのは、本当に大切な仕事。
「いいこいいこはどうでもいいこ」「いい子とは大人にとって都合のいい子」になっていないか。

 

 

ほうっておいたら、きっと怒ることや大切なものをすぐ手放してしまいそうな長女。

まさに「どうでもいいこ」になってしまわないように気をつけないと。

自分の「イヤ」を大切にしてほしい。

そしてそんな優しい長女のことを、思いっきり大切にしてあげようと思いました。

 

 

こんなことが続いたからなのか。

黙々と手を動かすことがしたくなったようで、

「はり(針)、やりたい。」と長女。

最近次女が動き回るようになってからなかなかできていなかった針仕事。

久しぶりに手を動かしていました。

 

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数珠玉とフェルト。糸を結ぶ以外は長女が

 

手仕事ってこどもにとって、いや人間にとって、大切な作業ではないかと思えてきます。

 

何も針仕事だけが手仕事ではなくて、洗濯物を干したり畳んだり、掃除機をかけたり、

机や床を拭いたり、おもちゃにオイルを塗ったり…。

「お母さんがやっていることは何でも手仕事」と教えていただいたことに感動し、

家事はなんでも長女と一緒にやるようにしていたのです。

それはとっても子どもを生き生きとさせることだと感じます。

でもこうやって何かが作り出される手仕事は、

やっぱりより一層心が豊かになるように思います。

 

 

わたしの手 あなたの手
手は動く 手は働きたい
わたしの手はあなたを助け
あなたの手はみんなを助ける

手は 世界の中に入っていき
人間のために 働く

わたしの手
あなたの手
みんなの手で
世界が動く
世界が変わる
この手の仕事で

 

 

 

入園準備で私自身も色々とチクチクしていますが、

この詩に励まされています。