土曜日の雨さんぽ

雨さんぽの日も、「冷たい」とあまり感じない暖かな季節になりました。

 

私は休日の公園が苦手です。

夫は不規則な仕事をする人なので、土日に休みが被るのは珍しいのです。

そのため休日に”パパさん率”の高い公園に行くと

私自身も「いいなぁ」という気になってしまうし、

(その分平日に家にいることがあるのだから無意味な羨望なのだけど)

娘も感じることがあるのか。「おとーさんいつかえってくるー?」と。

たいていその日のうちには帰ってこられないので、

どうやって明るい話題にしようかと言葉を慎重に選ぶ。

 

そうならないように”パパさん率”の低い川へ行って船を見たり、

時々船に乗ってみたり、あとは自転車で少し遠くまでサイクリングしたり。

 

 

でも、雨の日は何だか特別。

そんな思いをしなくて済むのです。

雨の日はとっても楽しいさんぽの日。

 

今日も朝から雨で、

「おかーさんはやくあめさんぽしようよ。あめこうえんもしたい。」

と朝食を摂る前からわくわく。

 

傘を持って長靴で外に出る。

水たまりをバシャンとやるやつや、高架橋の雨漏りしている下で落ちてくる雨を傘で(時々頭で直接)滝行のように受け止めるやつなどの、お決まりの遊びをひとしきり楽しむ。

 

今日は、このお決まり雨遊びを堪能したあとでじーーーーっと飽きること無く

こんな穴を覗いていました。

 

f:id:lifewithchild:20210313202148j:plain

雨樋の出口

 

我が家は下町で工場が多く、こういった古い建物がたくさんあります。

そんな建物の雨樋から出てくる穴。

とくん、とくん、と不規則なリズムで水が流れてくるのを、しばーらく見ていました。

 

ずっと見ていた娘がぽつり

「あめやんでも おみず でてくるんだねぇ。」

 

あれ、本当だ。いつの間にか雨がやんでいる。

私は全然気が付かなかった。

ぼんやり見つめているだけかと思っていたら、色々なことを感じとっていたのだなぁと気付かされる。

 

シュタイナー教育では幼児の感覚は「開かれている」という言葉で説明するけれど、

このときの娘も、目で見ていただけでなくて、雨の音や、肌の感触を使って

雨の日を感じ取っていたのだなぁ。

まさに全身が感覚器になって世界を感じ取っているんだなぁということを実感しました。

 

 

休日に雨が降るのは大抵の人は残念なことなのだと思いますが、

今日は雨が降ってくれて嬉しい我が家でした。

 

 

私の父も、長年ずっと土日は働き、月曜が休みの人でした。

もしかしたら私の母も、同じような思いをした時期があったのかもしれないなぁ。

ということを、今書いていて思い出しました。