感覚を育むマッサージ
このところ感覚について思うことがあり、
一本橋こちょこちょのような触れ合う手遊びやマッサージがいいよと教えていただいて、
我が家ではわらべうたの「いもやのおじさん」で遊んだりしていました。
なんと、石川道子さんと思しきお方がウォルドルフ人形に
いもやのおじさんの手遊びをしている動画を見つけました。
石川道子さんのわらべうた講習会に昨年末に参加したのですが、最終回である第3回目は
コロナの影響で延期になり、未だに開催できずにいるのです…。
参加者の方は若い人も年配の方もいらっしゃって、みんな素敵な方々でした。
いつかまた集合できる日が来るかしら…。
そういえば次女の沐浴あがりに習慣になっていたカレンデュラオイルでの
マッサージと手遊びタイムが、次女がベビーバスを卒業した(今でも入れることあるけれど)
と同時になくなってしまっていました。
寝る前に、久しぶりにオイルを持ってみたら長女が
前にもここであげた「ごほんゆび」や「かたつむりさん」の手遊びを「やって〜」と言うので
ひとしきり遊んでみたら、ごろーんと寝っ転がって
「まっさーじしてよ〜」と長女の素直なお願い。
わ〜かわいい無垢なおねだり。
次女が生まれてからこういった無垢で素直でいられる時間が減ってしまった感じがして寂しいと思っていたのよね。。
感覚について気になっていたのは、最近やたらと公園につくとすぐ裸足になりたがることがあって。まあいいかと思っているうちにどこでも裸足になろうとエスカレート?しつつあって気になっていたのでした。
それが悪いこととは私は思っていなかったのだけど、
こんなに素直に甘えてくれる様子を見たら、
「あー、求めていたんだな。」と感じました。
HSCという言葉を聞いて、あまり乱暴にカテゴライズして「この子はこう!」みたく思いたくなくて(私は影響されやすいということもあり)本を読んだりはしていないのだけど、項目だけ見ると当てはまることの多い娘。というかこういう子珍しくも何ともないよねとも思うけれど…。ひと一倍、なのかはわからないけど繊細な感性を持っていることは感じます。
娘にとって必要だったのはこういう時間や体験だったんだなぁ。
そういえば、長女が生まれたばかりの頃にピーター・ウォーカーのベビーマッサージの資格を持った開業助産師さんの教室に行ったことを思い出しました。
イギリスの理学療法士さんで、世界で初めてベビーマッサージを始めた方だそうです。
そのベビーマッサージの時間が心地よくて、図書館で本をいくつか借りて読んだ時、
ベビーマッサージはハイハイをしだして動き回るようになってくるとあまりできなくなるけど、2,3歳になるとまたマッサージをさせてくれるようになるよ〜というような話だった気がする。
そのときは「まだ先のことか〜」とさらっと読み終えてしまったけれど、
いつの間にかもうそんな年齢になっていたんだなぁ。。
次女のお世話だったりコロナだったり、とにかく毎日をこなすことが精一杯で、
ちゃんと日々を味わえてないなぁ。1日の終りが来るとホッと胸をなでおろすような毎日を送ってしまっていたことに悲しくなってしまう。。
次女に至っては、ベビーマッサージを長女ほどじっくりできないまま
寝っ転がればすぐに寝返りしてずり這いで動き回り、ひとところにはとどまっていてくれない月齢にあっという間になってしまったなぁ。。
過ぎたことを憂いても仕方がないので、また手遊びやマッサージで
心を通わせて感覚を育む時間をもつように心がけようと思います。
北風も吹いて寒くなったし。私も人肌を感じよう…。
めちゃくちゃオススメしたい本
誰に対して(笑)と突っ込みたくなるタイトルです。
いつも話題に出しております汐見稔幸先生です。
たぶんこのブログを読んでくださっている方にはヒットする内容だと思って、
紹介しようと思います。初版は7年前の本なので、もうすでに読んでいたらすみません。
小学生の自主性や主体性が乏しくなった危機感が80年代に出てきてから、「幼児教育でもっと遊びを大切に!指導をせずに援助を!」という真面目な議論から「放任」保育に陥る園も出てきた…。
という話、まさに最近体感したのです。
幼稚園見学をあちこちしているのですが、「個性が大切にされている、いいな」と思えた幼稚園だったのだが…、ガシャーン!とおもちゃ棚を倒しても、誰にも何も言ってもらえない乱暴な男の子…。
シュタイナー教育は「自由に生きるため」の教育ではあるけれども「自由放任にすること」とは大きく違うので、それを見て「やっぱりここも違うなぁ」とがっくりとしてしまったのです。
どのような範囲で自分のやりたいことができて、自分の中から湧き上がる興味を発揮していくことができるのか、ちゃんと知ることが大切であって、それは大人がよく観察してやって手を差し伸べてやらなくては、とても主体性が育つとは言えないと改めて実感します。
他にもこの本の中で感動したことは
こどもの潜在的な可能性は「私はこれが好き」と言うこだわりを持てるかどうかで花開くものだ。そういう状態で行動できることを私は「無垢」と考えたい。無垢のままでいる時間をできるだけ長引かせ、自主性や自尊感情、好奇心を十分に育める環境に置くこと。
もうこれ、まさにシュタイナーですよねぇ。
無垢である時間。大切にしたいものです。やっぱり子ども時代を守りたい。
それから少年鑑別所で心理判定員をしていた心理学者のお話も面白かったです。
問題行動を起こすこどもに共通しているのは、小学生くらいの年頃に満天の星を見て感動した経験がないことだ〜「人間は、ちっぽけだけどすごい存在だ」と感じ取る。〜古来から外的宇宙(マクロコスモス)は人間の内的宇宙(ミクロコスモス)と同型だと言われてきたのもなるほどと思う。
満天の星空は残念ながら今の我が家から見るのは難しいけれども…。
自然の、宇宙の大きさを感じ取ること、人間の小ささ、でも自然とつながってる大きさを実感することの大切さを自分の子供にも伝えていきたいと思いました。
また、明治時代に日本の教育がガラッと変わった話も面白かったです。
教育とはそもそも、「この人に習いたい」と先生を選んで教えを乞うことがはじまりであるはずが、画一的な一斉教育をするようになった。江戸時代まであった師と弟子に見られたような教育とは原理を異にしている…。
そうして偏差値主義の教育が始まり、一つの科目に秀でるよりも満遍なくできることがもとめられるようになった…。
勉強が楽しいものと思えなくなる背景には「苦手科目克服」なのではないか、という考えも面白いと思いました。
また大学で行う1,2年は一般教養、3,4年は専門科目という順番を逆にしたらどうか。自分が好きで選んだ分野が広い視野で見るとどういうものなのか、歴史的にはどういう意味があるのか、人間学的にどうつながっているのか。専門を学び、理解した上でそれを哲学的に俯瞰して見ようとなった時に初めて「教養」が必要になるー。
この考えは目からウロコでした。
「好き」が最初、そうだよねぇ、それが自然じゃないか。勉強は楽しいものなのに、そう思えなかった学生時代はそんなことも理由の一つかもしれない。
私が勉強楽しい、もっと知りたいと思った学生生活は、助産学科での1年間だけでした。
卒業して学生でなくなってからは勉強が楽しいのだけど。学生としてそう思えたのは、あの1年だけでした。
そしてこの本、シュタイナー教育についても少しだけ触れています。
「日本のオルタナティブスクール」にまずはじめに挙げられていました。
ただ日本ではこうした多様な学びの場は法的に「普通教育」に当てはまらず、教育委員会が認めないと小学校や中学校卒業の資格も得られない…。
そうした格差を是正するために「多様な学び保証法を実現する会」を立ち上げられたそうです。
幼稚園も無償化のあおりをうけてシュタイナー園が経営困難になってしまっている話をよく聞きます。このブログでも何度か書きましたが…。
どんな形態であれ、無償化の対象になるよう働きかけている方たちもたくさんいることを知りました。「多様な学びを保障したい!」まさにまさに、と熱くなりました。
そして幼児教育について。
熱心な幼児教育者は、子どもたちを遊ばせたり活動させたりしながらその子の姿を深く観察している。遊んでいる姿や友達との微妙な関わり方、こだわっている物事の世界。そうしたものから子供の心持ちや課題を懸命に推測し、育ちは十分なのか、もう少しこんなところが伸ばせるのではないかと評価し、次に備えていくーそれはまさに、その子の生きざまの評価と言ってもよいものだー。
もう涙が出ます。
「学校で勉強することが優れていて、遊ぶことはその下のこと」では決してないのですよね。
やっぱりすばらしい方だなぁとただただ感動する一冊でした。
内容は濃いですが本自体は薄めで、すぐに読めます。
まだ読んでいらっしゃらない方がいたら、とってもとってもオススメです。
読んでよかった。記録のためにもブログ更新しました。
イーハトーブ
シュタイナーではなく幼児教育について趣味の範囲で、
先日こんな講演を聞きました。
汐見先生と加藤先生なんて、素敵すぎる…!とすぐにポチリ。
汐見先生はいつも私話題に上げていますね。もはやファンです。
加藤先生は、とても有名(世界的にも)なふじようちえんの園長先生です。
その昔この園舎の設計をした手塚さんのTEDを友人が紹介してくれて、
とっても気になって見学に行ったことがあります。
(子どもももっていないのに、「保健師です、子どもの発達という面から興味があるので幼稚園の見学をさせてください」という怪しい者感満載だった気がする笑)
ポニーがいたり、ネイティブの先生による英語のクラスがあったり(英語で日本のことを説明できるようにとあえて和室で行うというこだわりを話されていました)、柿やコーンやにんにくが干されていたり、、夢のように楽しい園だったのを覚えています。
さてこの講演で、汐見先生が宮崎駿✕養老孟司の「虫眼とアニ眼」を例にとって幼児教育についてお話されていたのにびっくりしました。
虫眼とアニ眼 (新潮文庫) | 孟司, 養老, 駿, 宮崎 |本 | 通販 | Amazon
(おうちでシュタイナーしてますといいながら私はジブリ好きです…。)
この本もふじようちえんを見学した頃に読んでいたのですが、、
「町の一番いいところに子供達のための保育園を(幼稚園も兼ねる)」「地面はデコボコにしておく。自然の中に真っ直ぐなところはありません」
と汐見先生が紹介していてまた読みたくなって読み返してみました。
読み返してみると、部屋の真ん中にキッチンを作ってお手伝いもしてもらうとか、針と糸を使える、火を燃やせる・消せるなど、、いろんなアイディアがのっていました。
「部屋にキッチン」は大抵のシュタイナー園には取り入れられていると前に見学した園で教えていただいたのですが、、やっぱり役人の監査的に色々あるらしいなんて裏話も思い出して、「子どもにとって良い保育とは」と考えれば考えるほどお役所って何のためにあるのだ?という疑問にまたしてもぶつかってしまいます…。
そしてアイディアの続きは保育園と地続きでホスピスをつくる。子どもたちが侵入してくるホスピス。そのとなりは老人のための町、イーハトーブ町。
はっきり「イーハトーブ」と書いていて、宮崎駿って賢治すきだなぁ。
そういえば前に、オタキングこと岡田斗司夫さんが「千と千尋の神隠しで宮崎駿がやりたかったことは銀河鉄道の夜だった」という話をしていました。
小学生のころ、「宮沢賢治の会」なるものに入っていたので、懐かしく感じます。
異年齢の交流で、賢治の童話を朗読する以外にも自然あそびいっぱいだったり、童話に出てくる鉱物をみせてもらったり…。
シュタイナーを学び始めてから賢治の会のことを思い出すことが多いです。
汐見先生のぐうたら村も、なんだかイーハトーブのよう。
いつか何かしらの形で見学させてもらえる日が来ないだろうか…。
上の子の胎内記憶と池川明先生のお話
上の子が話してくれたお腹の中にいた時の話を、胎内記憶の研究をしている産婦人科医である池川明先生にお伝えしたところ、素敵なお話を教えていただきました。
信じる信じない、嘘か本当かという話ではなくて、このブログのテーマでもある「子どもと楽しく心地よく暮らす」ために大切なものだと思うのでここに記録しておこうと思います。
*
上の子が話してくれたのはこんな内容です。
娘(名前)ちゃんこのくらい(手で丸を作って)小さい時、海の中にいたんだよ。あったかい海。海のおばあちゃんはどこにいったの?
海のおばあちゃんは抱っこしてくれてた。
海のおばあちゃんのことを触ったりしてた。
向こう側は明るくて、こっちは明るくない。
だんだん狭くなったんだよ。
大きくなったらお外行こうと思ったんだよ。
お母さんはいたけどいなかったんだよ。
狭くなったからお外行こうと思った。
母「海から出るのは寂しくなかったの?」
寂しくなかったよ。
母「嬉しかった?」
うーんと、寂しいけど寂しくなかったんだよ。
母「そっか、寂しくないなら良かった。」
うん、寂しくなかったよ。お母さんがいたから。
ぎゅーしよ〜。
*
「海のおばあちゃんは私の想像だと臍帯のことかなと思っているのですが」
と付け足しながらお伝えしたら池川先生から、
*
臍帯のことは多くの子どもは”ヘビ”という言葉で話してくれることが多いです。「ヘビがいた」「ヘビが意地悪した」なんて話す子が多いんですよね。
”自分よりも年上の存在”として話してくれることの多くは、きっと天使さまのことだと思います。子どもたちの話を聞くと、どうやらお母さんのお腹にやってくる時に、ガイド役の天使さまがいるのです。普通天使さまはお母さんのお腹の中まで子どもを連れてきたら、また帰っていってしまうのだけど、こどもが「寂しいから一緒にいてください」とお願いをするとそのままとどまってくれる天使さまもいるのです。そういった天使さまは生まれたあとも少しの間そばにいてくれて、いつの間にか帰っていくのです。
*
”ガイド役の天使”って、まるでシュタイナーでいう導きの天使のようです。
そういえば娘の海のお話、シュタイナーでピンク色の布を覆うと子宮の中を思い出すという話を思い出して木製スタンドに布を付けていたら話してくれたんですよね。(ピンクの理由は保護色である緑が自分の中に反射して落ち着くという説など、諸説あるそう)
シュタイナーにもそういう考えがあるのですか〜と先生。
子どもたちの話をまとめて至った話と似たような世界観になることが不思議だと思いました。
冒頭にも書いたように、信じる信じないとか嘘か本当かということでなくて。
”天使さまが私のお腹に連れてきてくれた子”として目の前の娘たちを見ていると、なんて尊い存在なのだろう、大切にしなくてはいけない、と思わせてくれます。
このところ次女が活発になってきたり後追いが始まったりしたこともあって、長女との関係がなんだか難しいと感じることも増えてきて。次女の世話で手が取られてしまう間、長女は私のさやに収まっていたところからポーンとそとに出ていってしまったような、甘えたくても甘えられない、私としても甘えてほしいのに甘えてもらえない、何とも言葉にしにくいもどかしさがあったのですが。
先生の話を聞いたら娘たちの尊さを改めて意識することができて、また長女が一人っ子だったときのように可愛がれるようになりました。
そうしたら久々に寝る前に「おかあさん、だーいすき」と素直に言ってくれて、本当に救われました。
胎内記憶についての研究の国際グループも立ち上げているようです。
「世界中の胎内記憶が集まれば、われわれがよりよく生きるための道標となりえます。」という言葉に、私も納得する出来事でした…。
助産学科の時に池川明先生のお話を聞く機会があったのですが、そのときはお母さんのお腹の中に来る前のことについて話してくれる子もいるという話をしていました。
・お空の上からお母さん候補の女の人をみて、この人がいい!と思って降りてきたんだよ
・テレビみたいなのがお空にあって、そこからお母さんのことを見ていた
・どのお母さんがいいか決めたら、かみさまみたいなひとにお願いをしにいくんだよ
・自分がこの人の子どもになることでこの人は幸せになれると思ってやってきたよ
それで思い出したのはこの本です。
わたしがあなたを選びました | 鮫島 浩二, ゆかり, 植野 |本 | 通販 | Amazon
保健師の時に妊婦さん向けの両親学級でベテラン保健師さんがこの本を朗読していたのを聞いて仕事中にボロボロ泣いてしまったこともありました。
助産学科の時に同期とこの動画を見てまたボロボロ泣いたことも。
信じる信じないとかでなくて、子どもと暮らしているとどうにもつかれる事も
自分がすり減らされるような思いをすることも
イライラして子どもに辛く当たってしまうことも
あるのですが。
こんな話をきくとやっぱり今の生活のありがたさ、子どもの尊さを思い出させてくれます。
さいごに我が家の大切な子守唄です。わたしが教えていただいた歌詞とは少し違うけれど。
誰かのなにかの参考になれば幸いです。
運動についてつづき
先日の運動についての記事、久々に更新した割に内容薄くて申し訳ないなぁ…
と思っていたのですが。
数人の方から熱い感想をいただきました。
読んでくださって、本当に、本当に、ありがとうございます…!
ちゃんと調べ直したら、yahooニュースの記事は今年もコロナ後に運動会について最近更新された記事があったので改めて掲載します。
この方の話面白いです。
情報量のこれだけ多い記事を結構な頻度で更新されていて…尊敬。。
少人数制にするかどうかの議論も、たしかに加配は不安定になるし、困る家庭はかなりの数になるのでは、ということも気付かされました。
なんだかいろんな参考になる人の記事や動画を紹介するだけのブログになりつつある…。
寒くなりましたね。お身体を大切に、残りの2020年も大切に過ごしましょう。
今日も内容薄めですみません…
運動の秋に運動について考える
数日前、紹介されてこんな投稿を見ました。
https://twitter.com/hakuo416/status/1312612574685396992?s=20
フィンランドの先生のご指摘が、ごもっともすぎます。。
そういえば健康を目的とした運動ではなく、競争ばかりの運動しか教えられてこなかったなぁ。
いつも話題に出してしまうのですが汐見先生もコロナが流行してすぐのインタビューでもこんな話をしていたのを思い出しました。
去年の記事ですがyahooニュースも
運動会などの行事は軍隊の練習のために始まったというお話。
日本の教育だめだねって話がしたいわけではなくて、親の側もこういう背景を知っておくことって大切じゃないかなあと思います。知っている人ももちろんたくさんいると思うのだけれど。。
文科省の生きる力にも、健康増進のために生涯にわたって運動に親しむようにしようという目的はしっかり明記されていますし、ひとりひとりの意識で変えていかないといけないことってたくさんありますよね。。
運動の秋ですね。サイクリングにもいい季節。
娘たちが大きくなったら一緒に家族でサイクリングをするのが夢です。
玉ねぎ染めの数珠玉お手玉
長女と玉ねぎ染めをしました。
今月の「天然生活」に草木染めのやり方が、詳しく解説が出ていました。
いつかやろうと冷蔵庫に溜めてあった玉葱の皮がたくさんあったのを思い出して。
この解説をしている草木染めのお店、前から行ってみたいとずっと思っていたお店なのです。
ワークショップを毎月やっているのですが、あっという間に定員が埋まってしまって予約できず…。今月はザクロ染めだそうです。楽しそう。
雑誌の中では他にビーツとコーヒーで染めていました。
比較的近くにこんな素敵な草木染めのお店もあるし、虹染めができる他の染料屋さんもあるし、シュタイナーやるにはいい地域なんだけどなぁ。なんでないのかなぁ。
最近見学したシュタイナー園の中で、数人の母親たちの自主保育からはじまってなんと20年、今では幼児だけでなく小学生のオイリュトミーとフォルメンのクラスまで行う園に発展したという奇跡のような園がありました。自分も何かできないかなぁ…。
そちらで話題になったのが、そういった自主運営の園が幼児教育無償化の影響で経営が難しくなっているというお話。
東京新聞では船橋のモンテッソーリの園が取り上げられていました。去年の記事ですが。
政府が幼児教育に力を入れること自体は良いことだけれど、子どものためを考えた熱心な園が経営困難になってしまう状況になるのは悲しいですね…。
さて、玉ねぎ染めしたシルクは先日収穫した数珠玉を詰めてお手玉になりました。
なぜって、、次女がなんと数珠玉を飲み込んでしまいました…。
オムツ替えの時にびっくり。何も大事にならずよかったものの、ずり這いが猛烈になってきたので本当に目が離せません。
これは早いこと数珠玉を消費しなければ、ということでお手玉に詰めました。
実は今週風邪気味だった長女。鼻水がズビズビで寝苦しかったようです。
お手玉を作ってあげたら、「おふとんのおへやにも持ってく。」といって寝室まで持っていき、数珠玉の感触やシャカシャカという音を楽しみながら、いつの間にかコテンと寝ました。
可愛い、うれしい。
しかし次の日、数珠玉でおままごとをしたくなったのに数珠玉が少なくなってしまったことに気がつき、「おてだま1つがよかったのーーー!泣」
そんなぁ。。笑