令和3年3月8日、産婆の日

産婆の日(母子と助産師の日)であります。

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日本で唯一、助産師の神様を祀った愛媛県の高忍日賣神社のお守り

助産師会会長の岡本喜代子先生から直接頂いた、大切なお守りです

 

 

お産のこと、子育てのことについて考えると

人間にとって「手を働かせること」「想像力(脳)を働かせること」

この2つは大切にしなきゃいけないことだぞ、と思えてきます。

シュタイナー教育の中でも大切な要素だと思うのですが…

お産の観点から考えても、やっぱり大切にしたいと思う要素に感じます。

 

 

なぜヒトのお産は他の哺乳類に比べて圧倒的に大変なのかといったら

直立二足歩行巨大な脳に依ります。

 

直立二足歩行をすることで産道が狭くなった上に、脳が大きく進化したことで

ただでさえ狭い産道に対して通過する胎児の頭が大きすぎる。

本当にキツキツ。他の哺乳類に比べてスペースに余裕がなさすぎる。

  

(お産をちゃんと乗り越えられるような仕組みが、赤ちゃんにもお母さんにも本来備わっているので、大変ということだけに焦点を当てるべきではないと思うのですが)

 

 

そんな進化をしてまで人間が得たものは、

二本の足で立ち、「手を使うこと」

そして

大きな脳で、「想像力を働かせること」

だなぁと思います。

 

どんな出産のスタイルであれ、せっかくお産を乗り越えたのだもの、

この2つはしっかり育まなければ損な気がしてきます。

 

毎日子どもと一緒に暮らしていると、こどものこの2つが育ってくると、

本当に子供との暮らしは心地の良いものになると感じます。

 

 

ボタンを止めたり、お箸を使ったり、海苔でご飯を巻いたり、

お掃除したり洗濯物を洗濯バサミでとめたり、

乾いた洗濯物をたたんだりといった日常生活の動作は、子ども自身も喜びを感じ

一緒にやると家事の時が楽しいものになります。

 

 何かを自分の手で作り出すような手仕事は、心を豊かにするものと感じます。

 

そして子どもが想像力を働かせて

お話の世界を思い描いて空想にふけている時間や

ごっこ遊びの世界が広がって生き生き遊んでいるのを見ると

こちらまで元気になります。

 

 

 こういう心地よさは「生きててよかったー」につながると、本気で思います。

 

「生きる力を育む教育を!」と言われていますが、

「生きてると楽しい、を伝える教育を」の方がなんだかしっくりきます。

 

そんな心地よい毎日でありたい。

バタバタと過ぎてしまう日々だけれども、少しでもそんな毎日を送れるように努力したいです。

そのためにはやっぱり時間の使い方、段取りの良さ。

子どもと過ごすときはゆったりと、家事や出かける準備などはテキパキと、

このスイッチの切替がなかなかできていないけれども、

生きる楽しさを伝えるためと、心に誓って日々精進!

 

 

 

いいこってなんでしょう

親バカと思われるかもしれませんが。

長女は本当に「いいこ」なのです。

 

そりゃ子どもらしくわがまま言ったり大声出してみたり

ふざけてみたりすることはもちろんありますが。

 

他者を思いやる気持ちや物を大切にする気持ちに、

大人のこっちがハッとさせられるようなことがよくあるのです。

お友達に物を取られても仕返しをせず、「かえりたくなっちゃった」という。

理由を聞くと物を取られたことは一言も言わずに「おなかすいたから。」

そして帰ってから家でわがままになったりすることもなく、次女にも優しい。

 

 

こんなに良い子で、、、大丈夫なのか?

と心配になってしまいます。

 

そんな折、とある保育士向けの講演の内容を少しだけ教えていただいたことが響きました。

 

本当に大切なものは簡単に手放す必要はない。

怒ることを簡単に諦めてしまわない人間へと導くのは、本当に大切な仕事。
「いいこいいこはどうでもいいこ」「いい子とは大人にとって都合のいい子」になっていないか。

 

 

ほうっておいたら、きっと怒ることや大切なものをすぐ手放してしまいそうな長女。

まさに「どうでもいいこ」になってしまわないように気をつけないと。

自分の「イヤ」を大切にしてほしい。

そしてそんな優しい長女のことを、思いっきり大切にしてあげようと思いました。

 

 

こんなことが続いたからなのか。

黙々と手を動かすことがしたくなったようで、

「はり(針)、やりたい。」と長女。

最近次女が動き回るようになってからなかなかできていなかった針仕事。

久しぶりに手を動かしていました。

 

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数珠玉とフェルト。糸を結ぶ以外は長女が

 

手仕事ってこどもにとって、いや人間にとって、大切な作業ではないかと思えてきます。

 

何も針仕事だけが手仕事ではなくて、洗濯物を干したり畳んだり、掃除機をかけたり、

机や床を拭いたり、おもちゃにオイルを塗ったり…。

「お母さんがやっていることは何でも手仕事」と教えていただいたことに感動し、

家事はなんでも長女と一緒にやるようにしていたのです。

それはとっても子どもを生き生きとさせることだと感じます。

でもこうやって何かが作り出される手仕事は、

やっぱりより一層心が豊かになるように思います。

 

 

わたしの手 あなたの手
手は動く 手は働きたい
わたしの手はあなたを助け
あなたの手はみんなを助ける

手は 世界の中に入っていき
人間のために 働く

わたしの手
あなたの手
みんなの手で
世界が動く
世界が変わる
この手の仕事で

 

 

 

入園準備で私自身も色々とチクチクしていますが、

この詩に励まされています。

 

考えることは普通に暮らすこと 考えることは生きること

相沢康夫さんの絵本解説がYouTube

14日(日)午後17時までの限定で公開されていることを教えていただきました。

 

www.youtube.com

最初から最後まで、絵本にはここまで考える余地があったのかと、

じっくりと絵本を読むことの豊かさを教えていただきました。

できたら子どもには、大人が解説して見せるのではなくて

自分の力でこんな絵本の読み方ができるようになってほしいなぁ…。

自分で発見したときの喜びはとても大きなものだと思うので。

そのためにはまず自分が、こういった読み方が絵本にはあるんだよということを知れることはとても大きなことだと思いました。

 

個人的には昔話や超常現象は自分の子どもたちの今の年齢では絵で見せるには早いように感じていて(「このほんよんで」2020年秋号での松岡享子さん特別寄稿で話していらっしゃった内容に納得)今は娘には絵ではなくて言葉だけで伝えています。

 

が、大人である私にとって、相沢さんの解説がとても勉強になりました。

 

「3びきのこぶた」

私は恥ずかしながらウォルト・ディズニーに「改悪」されたストーリーしか知りませんでした。

「生き残るためには知恵を使いなさい」

この教訓を伝えるためには相沢さんのおっしゃるように狼も死ななくてはいけないし、

はじめの二匹のこぶたも、やはり食べられなくてはならないと思いました。

 

ちょっと動画の内容からは離れますが…

生きるためには知恵を使いなさい、と聞いて「津波てんでんこ」を思い出しました。

津波が来たら親や先生のもとに戻ったりせずに、てんでばらばらに高台に逃げろ」、つまり自分の命は自分で守れという三陸地方に伝わる教え。

この教えを徹底していた釜石市では市内小中学生の99.8%が助かり「釜石の奇跡」と呼ばれているそうです。

 

知恵を使う、自分の頭で考える、ということはまさに生きることそのものです。

生きるためには考えなくてはならないのです。

津波だけじゃない。コロナ渦での暮らしのこと、近い未来を考えたらAIの普及する世の中で生きていくということ、自然災害が増えてきている中で生きるということ…。

 

折しも、先年亡くなられた安藤光雅さんの「かんがえる子ども」を読んでおりました。

考えるって、なんでしょう。

 

ー「数学の問題を考える」場合のように出された問題の答えを考えることだけではありません。「考える」ということは普通に暮らすことです。

「晩御飯のことを考える」だけでもたいしたことですし、「子どもを育てることを考える」としたら大事業です。ー

 

とはじまり、

 

ー教師は教えてお金をもらっているけれど、親は一文ももらわないで、子どもを育てています。真剣になって当たり前なのですー

 

とおわるとき、ボロボロっと涙がこみ上げました。

きちんと暮らすこと、心を動かすこと。

考えることを他者に任せないこと。大切にしなくてはならないなぁと思いました。

 

それにしても安野さん。

・子どもは誰でも空想の世界で遊んでいる

・時間や空間のとらえかたはこどもとおとなで違う

・人生の価値観に疑いを持つような時期の子どもとのつきあいは、とても難しい

・ほんとうのことが書いてある本がいい

・自然に「触れる」のではなくて、自然と「一緒にいる」

・自然というものを畏敬の念をもってみる

 

まるでシュタイナー関係の人のように感じるのは私だけですか?

 

以前見学に行ったシュタイナー幼稚園の先生が、

「シュタイナーは特別なものと思われがちだけど、昔から言われているおばあちゃんの教えのような考えに近かったりする。」

とおっしゃっていました。

本当に子どものこと、人間のこと、を考えていると自然と同じような考えにつながるものなのですね。

 

 

さて震災から10年。節目の時に「生きること」「考えること」について考えることができてよかったです。なんだか日本語が変?

 

 

おちびさんのお隣は、やさしさん

長女がめずらしく「らくがき」をしました。

 

紙ではなく、おもちゃ、おもちゃ棚、木製スタンドやいたるところに。

 

長女は本当に聞き分けがよくて、こんなことは今までしなかったし

シールをベタベタとあちこちに貼るようなこともしないし。

前にうっかり壁に書いてしまったときには

「ここは借りているおうちだから大切に汚さずに使いましょう」

という話をよくよくして、長女も分かってくれていたのです。

 

そんなもんで珍しすぎて、発見した時に思わず驚いて声を上げてしまいました。

 

「え!?これ、長女ちゃんがかいたの?どうしたの?」

 

それを聞いた長女

はじめは「えへ、かいちゃった」という表情だったのが

 

「あれ」

 

「しまった」

 

「やってしまったのね、わたし」

 

とみるみるうちに表情が曇っていって、今にも泣きそうなところで

とりあえずぎゅーしよっか、と抱っこしながら「うわーん」と泣きじゃくる。

 

その間どうやってこの場を乗り越えようかと頭を巡らせる。

考えてみたら壁や床には書いていないし、

おもちゃもおもちゃ棚も木製スタンドも、ぜんぶ娘のものなのだ。

 

「わるいことじゃない」「紙じゃないからびっくりした」「木に描いてみるのも、紙と違っていいねぇ」ということをとりあえず伝えると、

 

長女の目にカレンデュラオイルが目に止まったようで、

「いいにおいのオイルしたい」

というのでオイルを手にとって手遊びをしました。

 

よくこのブログで紹介しているごほんのゆびの手遊びです。

www.youtube.com

 

遊び終えると長女、

「なんでやさしさん(薬指)なのかなぁ。」

 

そして小指を撫でながら

「おちびさん(小指)にいいこいいこよ〜ってするからかなぁ。」

 

わぁ、ほんとうだね。といって長女をいいこいいこしました。

小さい子の隣は、優しい人がいてほしいね。

いつも次女に優しい長女。自分も本当はもっとお母さんに甘えたいよねぇ。

 

 

 

さて、なんで急に落書きしたのだろう??

最近次女が蜜ろうクレヨンであちこち机やパソコンに書いてしまっていたから?

一種の赤ちゃん返り?

と色々と考えるが、寝かしつけをしたあとに帰ってきた夫と話した結論は、

 

「書いてみたら楽しかったから。」

 

確かに、木に描いてあると紙と違って色の雰囲気だったり、表情だったりが変わって面白いのです。

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たしかに楽しそうな筆の走り

 

これは、消してしまうかそのままとっておくか、悩むね〜なんていいながら夫と眺めていました。

「明日一緒に消そうって誘ってみよう。」と夫。

こういうとき夫が楽しそうに誘ってくれるので、いつも心が軽くなります。

ありがたや。

 

 

 

 

子どもの「なんでなんで」

長女の「なんでなんで期」はそれはもうとにかく猛烈!と感じました。

かれこれ1年位「なんでなんで」と言っております。

だいぶもう慣れてきたのですが、始まった頃は「何億回言ってる?」と思いました。

今でも1日に少なくとも100回は言っている気がします。

もういっそのこと、一生そのくらい疑問を持ち続けてくれてもいいかも、と思います。

 

 

ちょうど「なんでなんで」に悩み始めた頃に、

ラヒマ・ボールドウィン・ダンジー著 合原弘子訳「親だからできる赤ちゃんからのシュタイナー教育」を読みました。

こどもの絶え間ない質問に対して親は、合理的・科学的な答えをしがちだが、そういった概念的知識はこどもの理解できるレベルをはるかに超えている。

「なぜお日さまは明るいの?」

という質問に対して、気体が燃えているとか、紫外線といった言葉を使わずに、

「木や草を大きくさせ、私たちを元気にしてくれるためよ」と答えることで十分満足するという。

たしかに、自分が子供の頃を思ってみたらそうかもしれない。

 

 

 

 

おばあちゃんには

「なんで雨がふるの?」という質問に

 

あめを あげましょ つばさ ひろげ

のどがかわいた おはなたちに

 

とお歌を歌って教えてもらっていました。

 

 

「なんでなんで」に対して図鑑で教えてあげることもいいかもしれないけれど、

こんな風に全身で世界とつながりを感じられる答え方って本当に素敵です。

 

 

いろんな大人に質問をしまくる長女の中では、どうやらランキングがついているようです。

お母さんに聞いてみて、納得しなかったらお父さん。

それでもだめなら、おじいしゃん。

という具合です。

 

つまりランキング第1位は、おじいしゃん。

 

 

科学者おじいさんはいつも素敵な教えをくださいます。

 

◎乾いた洗濯物を見て長女

「せんたくもののおみずはどこにいったの?」

 

おばあちゃん「おそらにいってまた雨になって降ってくるよ。」

おじいさん「形が変わることはあっても、無くなってしまうものは何一つないんだよ。」

 

 

◎ひらひら落ちる落ち葉を見て長女

「どうしてはっぱは落ちてくるの?」

おじいさん「葉っぱは木のうんち。木がいらなくなったものを葉っぱに集めて下に落とす。うんちと言ったら綺麗じゃないかな。木の汗かな。」

 

◎公園で桂の木の近くを通ったとき

「なんでヤクルトのにおいがするの」

「桂の木のにおいだよ。黄色い葉っぱよりも、茶色い葉っぱのほうがよく匂いがするよ。」

 

 

 

大変ながらも楽しい「なんでなんで期」。

長女が「なんで」と言ってくれるおかげで私も感動することがたくさんあります。

こうやって色々な人からたくさんの優しい声掛けをもらっているから「なんで」を安心して言えるのかも。

 

質問しても、理解しにくい概念的な内容で「子どもにはまだ無理。大人にならないと理解できないだろう」というようなメッセージが裏にありそうな答えばかりを聞いていたら、

もういいや、聞くのやめよう。と思ってしまうかもしれない。

というか、自分がそうだったような気がしてきます。

 

今の目標は、「なんでなんで期」をできるだけ長ーく続かせてあげることです。

 

結局、性教育

SHELLYさんのyoutubeチャンネルがあることを初めて知りました。

しかも、性教育チャンネル!

「人の運転する車に乗るのではなくて、自分でハンドルを握って

いろいろ選択肢があるなかで自分でコレ!と思ったものをみつけて進んでいくために

必要なのは結局、性教育!」

 

すごいすごい、本当にそう。

girls empowerment という言葉を使っていて気がついたけど、

助産師の仕事って全てがgirls empowerment だなと思う。

産婦さんのエンパワメント、だけでなくて

お母さんたちのエンパワメントも必要だし、若い女の子ももちろん、子育てを終えた世代の女性達も。

その大切さを知ったのは開業助産師が地域で幅広く貢献している様子を見たから。

だから助産師になりたいと思ったんだった。

 

そのいちばん根源にあるのは確かに結局、性教育

 

妊娠の経過とか、受精の仕方とか、そういうことをはじめて知ったのが不妊治療だった

と話していたのですが…。

確かにそうなるのか。自分は助産師免許をとってから妊娠したからこれが普通と思ってしまっていたけれど、そうじゃないよね。じゃあどこで知るのか。

姉妹がいたら話しやすいよね。お母さんと話す人ももちろんいると思うけど、

そうじゃなかったらお友達かもしれない。

いや、もしかして情報源がネットにしかない人もいるのかも。

 

これって専門家だけじゃなくて、すべての人にとって大切な知識じゃない?

少子化の根深い原因って、こんなところにもあったりして…。

 

 

SHELLYさん、三姉妹の末っ子であり2歳差の女の子のお母さんということに

共通点があり勝手に親近感を持ってしまいます。

出産のとき一人目は逆子で経腟分娩、二人目は水中出産をされたそうです。

逆子でも経腟分娩ができるようにとにかく調べて、英語の論文まで読んで、

信頼できる先生を選んだそうです。

 

お産の体験を聞くと「辛かった、話したくない」という人も多いと聞いたことがあるのですが

その根本の根本には性教育の問題がもしかしたらあるのかもしれないなぁ。

「不安」は身体を緊張させて、交感神経優位になることで痛みを感じやすくします。

妊娠や出産の知識があることで、その不安のひとつでも取り除けられたらいいのに。

 

 

すべての女性に知識と選択肢を!!

 

 

www.youtube.com

 

 

 


子育てしていればなんとなく知っていること

少し前になりますが2020年10月25日、11月15日讀賣新聞「知りたい 赤ちゃん学 上・下」

理化学研究所の黒田公美先生の研究が紹介されていました!

 

子育てしたことのある人なら感覚的に知っている「赤ちゃんは抱っこして歩くと泣き止む」

ということを、脳科学的に明らかにした輸送反応の研究を知り、調べているうちに

こちらの動画を見つけて非常に感動して。

2015年の頃、折よく研究員募集・初心者でも主婦でも歓迎というお知らせを見つけ

研究室にお話を伺いに行ったことがありました。

 

www.youtube.com

 

お話を聞いたときの印象は「本当に頭の切れる人格者」。

社会からわたしたちは何を受け取り、代わりに何を提供しているのか?

それを双方にとってより良いバランスを保つために研究者として何ができるのか?

ということを常に意識して研究していらっしゃる方だと感じました。

 

今回の讀賣新聞に掲載された話では、体温調整や睡眠に関わる「内側視索前野」という脳の領域の中央のちいさな部位が、育児行動に重要な影響を及ぼすことがわかったという。

この部位の機能を止められたマウスは授乳や巣作りをしなくなる上に虐待(攻撃)を始める。

そしてこの部位は、子育て中に強いストレスを受けると働きが鈍くなるんだそうです。

 

生活が大変すぎたり子育ての援助がないと子育てに影響する脳の機能が妨げられ、子どもを可愛いと思う気持ちが混乱してしまう可能性があるー。

 

 

こういった「子育てしていればみんななんとなく分かっていること」を、しっかりと科学的に裏付けをする意義は大きいと思います。

 

科学が全てとは言わないけれど、こういった根拠なしには社会は動いてくれないし、

こういう研究のおかげで、社会が「親の頑張りが足りない」という根性論に走るのをセーブしてくれます。

 

 

黒田先生やっぱり素晴らしいなぁと思ってまた調べてみたら、こんな特集もありました。

www3.nhk.or.jp

 

虐待というと「子どもを救う」と考えがちだが、養育者への支援をしないと根本的な解決にならない。

もちろん養育者は大人であるから、自分を律したり、頭を使って子どもを導いてあげたり、「親業」を全うするための成長は不可欠であるけれど、それが十分できるように手を差し伸べてあげられる社会にならないことには、解決できずに繰り返してしまう。

 

ある開業助産師さんの言葉を思い出します。

「おかあさんの心のコップが満たされると、そのお水が子どもの心のコップに流れて満たされていく」。

母乳推進の「赤ちゃんに優しい病院(BFH)」は「お母さんには優しくない病院」と揶揄する人もいます。

 

次女を出産した助産院では、泣き声が止まないとすぐに部屋に助産師さんが来てくれて、「預かるね〜」と言って次女を抱っこしていてくれました。

自分も助産師だし、経産婦だし、なんとなく「預かってください」と自分から言うのはためらってしまう気持ちがあったので、これは本当に助かりました。

大きな病院で預かってもらう場合は、新生児室にどうしても置きっぱなしにされてしまう時間があるので辛く思ってしまう。ところが私一人だけの助産院での入院生活は、もし泣いても助産師さんが抱っこしていてくれるので安心して預けられて、心も身体も大いに休まりました。

 

 

もちろん、「自分の心のコップはどうしたら満たしてあげられるのか」をちゃんと自分で知っていて、そのために日常でできることを実践することは、もはや義務でもあるだろう。

 

私は何でしょう。ライヤーの音を聞くこと?それでもだめなら人と話す。外の空気を吸う。

単純なので、誰かにありがとうって言ってもらえることをする。こうしてブログを書く。

夫と他愛のない話をする。Youtubeでお笑いラジオを聞き流す。自転車に乗る。

娘たちの可愛かったエピソードを夫に自慢する。

写真共有アプリ「みてね」で祖父母にも自慢する。

手仕事をする。体操をする。

 

こうやって書き出してみると、自粛生活でも意外とできること色々あります。

 

 

自分でできることももちろんやりつつ、やっぱり子育てに支援は不可欠です。

自分が子育て中に支えてもらって嬉しかったこと、助かったこと、ありがたいと思ったことは

忘れることなく、いつか自分も同じことを後輩の子育て世帯に手渡していかなくてはいけない。

そのための備忘録のためにも、このブログは続けていこうと思いました。