育児は育自という言葉が嫌い?

しばらく前に「育児は育自という言葉が嫌い」という投稿を目にして、ずっと悶々としておりました。

 

否定をする気はないのです。ママたちもっと気楽に行こうよ、という優しい話は私もされたら好きですし、保健師として育児相談や新生児訪問をしていた身からしても、「肩の力抜いてゆっくりやろうよ」という声かけは必要だと感じているのも事実です。

母子保健の仕事をしている時に妊産婦死亡の原因は実は自殺が1位では、というニュースを読んだ時はショックを受けました。そうして病院だけでなくより妊産婦さんの近くで支えられる地域母子保健の重要性を実感して助産師学校に通いなおすことになるのですが…。

妊産婦死亡、自殺が1位 成育医療センター調査 :日本経済新聞

 

一方子育てをしてシュタイナーの心地よさを感じていますが、シュタイナーは思いっきり「育自せい」の姿勢だと思います。

発達の終わった大人が子どもを教育するのではなくて、大人も発達途上の人間であることを自覚してこどもと一緒に成長するものであるというし、3歳までのこどもに必要なことは育てる側の自己教育だとはっきりと述べています。

 

たしかに子どもと暮らしていると自分の関わり方や声掛け一つでも変われば、子どもの行動や思考の方法が変わる場面はとても多いです。というか、それの繰り返しだなと思います。

ソフトバンク孫正義さんが「他人と過去は変えられない、自分と未来は変えられる」と話していたことが印象に残っているのですが、子育てってまさにこれに尽きるなぁと思います。

なので、子どもと心地よく暮らしていくにはやっぱり「育自」って必要だなぁと思うのです。

 

けどそれも周りの助けがあってこそだと思います。

家族や友人、近所の人、病院や助産院でお世話になった人たち、道端で声をかけてくれる通りすがりの人、電車に乗るときにベビーカーを一緒に持ち上げてくれた人…多くの人に支えてもらっているから育自しようと前向きになれるものだなと感じます。

自分もその1人になれるように生涯をかけて取り組みたいです。

 

わー、ありきたりな着地点。

 

そして一緒に育自している人と励ましあいてくて、一緒に学べる仲間が欲しくて、こうしてブログをやったりインスタをやったりするのです。。

読んでくださっている読者の方々、本当にありがとうございます。