子育てしていればなんとなく知っていること
少し前になりますが2020年10月25日、11月15日讀賣新聞「知りたい 赤ちゃん学 上・下」
理化学研究所の黒田公美先生の研究が紹介されていました!
子育てしたことのある人なら感覚的に知っている「赤ちゃんは抱っこして歩くと泣き止む」
ということを、脳科学的に明らかにした輸送反応の研究を知り、調べているうちに
こちらの動画を見つけて非常に感動して。
2015年の頃、折よく研究員募集・初心者でも主婦でも歓迎というお知らせを見つけ
研究室にお話を伺いに行ったことがありました。
お話を聞いたときの印象は「本当に頭の切れる人格者」。
社会からわたしたちは何を受け取り、代わりに何を提供しているのか?
それを双方にとってより良いバランスを保つために研究者として何ができるのか?
ということを常に意識して研究していらっしゃる方だと感じました。
今回の讀賣新聞に掲載された話では、体温調整や睡眠に関わる「内側視索前野」という脳の領域の中央のちいさな部位が、育児行動に重要な影響を及ぼすことがわかったという。
この部位の機能を止められたマウスは授乳や巣作りをしなくなる上に虐待(攻撃)を始める。
そしてこの部位は、子育て中に強いストレスを受けると働きが鈍くなるんだそうです。
生活が大変すぎたり子育ての援助がないと子育てに影響する脳の機能が妨げられ、子どもを可愛いと思う気持ちが混乱してしまう可能性があるー。
こういった「子育てしていればみんななんとなく分かっていること」を、しっかりと科学的に裏付けをする意義は大きいと思います。
科学が全てとは言わないけれど、こういった根拠なしには社会は動いてくれないし、
こういう研究のおかげで、社会が「親の頑張りが足りない」という根性論に走るのをセーブしてくれます。
黒田先生やっぱり素晴らしいなぁと思ってまた調べてみたら、こんな特集もありました。
虐待というと「子どもを救う」と考えがちだが、養育者への支援をしないと根本的な解決にならない。
もちろん養育者は大人であるから、自分を律したり、頭を使って子どもを導いてあげたり、「親業」を全うするための成長は不可欠であるけれど、それが十分できるように手を差し伸べてあげられる社会にならないことには、解決できずに繰り返してしまう。
ある開業助産師さんの言葉を思い出します。
「おかあさんの心のコップが満たされると、そのお水が子どもの心のコップに流れて満たされていく」。
母乳推進の「赤ちゃんに優しい病院(BFH)」は「お母さんには優しくない病院」と揶揄する人もいます。
次女を出産した助産院では、泣き声が止まないとすぐに部屋に助産師さんが来てくれて、「預かるね〜」と言って次女を抱っこしていてくれました。
自分も助産師だし、経産婦だし、なんとなく「預かってください」と自分から言うのはためらってしまう気持ちがあったので、これは本当に助かりました。
大きな病院で預かってもらう場合は、新生児室にどうしても置きっぱなしにされてしまう時間があるので辛く思ってしまう。ところが私一人だけの助産院での入院生活は、もし泣いても助産師さんが抱っこしていてくれるので安心して預けられて、心も身体も大いに休まりました。
もちろん、「自分の心のコップはどうしたら満たしてあげられるのか」をちゃんと自分で知っていて、そのために日常でできることを実践することは、もはや義務でもあるだろう。
私は何でしょう。ライヤーの音を聞くこと?それでもだめなら人と話す。外の空気を吸う。
単純なので、誰かにありがとうって言ってもらえることをする。こうしてブログを書く。
夫と他愛のない話をする。Youtubeでお笑いラジオを聞き流す。自転車に乗る。
娘たちの可愛かったエピソードを夫に自慢する。
写真共有アプリ「みてね」で祖父母にも自慢する。
手仕事をする。体操をする。
こうやって書き出してみると、自粛生活でも意外とできること色々あります。
自分でできることももちろんやりつつ、やっぱり子育てに支援は不可欠です。
自分が子育て中に支えてもらって嬉しかったこと、助かったこと、ありがたいと思ったことは
忘れることなく、いつか自分も同じことを後輩の子育て世帯に手渡していかなくてはいけない。
そのための備忘録のためにも、このブログは続けていこうと思いました。
おなかの赤ちゃんは光を感じるか
https://www.amazon.co.jp/おなかの赤ちゃんは光を感じるか――生物時計とメラノプシン-岩波科学ライブラリー-太田-英伸/dp/4000296337
長女が話してくれた胎内記憶「うみのおばあちゃん」のお話の中で
「こっちがわはあかるくなくて、あっちがわはあかるい」
というところで疑問。
おなかの中で光を感じるのか???
手術室で働いていた時に見た子宮摘出や付属器(卵管や卵巣)切除の手術を思い出せば、
腹腔の中は真っ暗で腹腔鏡カメラはライトが点かなかったら何もみえないし、
ましてや子宮内なんて子宮筋の分厚い下でますます光が届くわけないよなぁ。
それじゃあ子宮口(子宮の出口)の光?うーん、でも子宮口はピッタリとしまっているはずだし、娘の話だと「だんだん狭くなった」頃に感じているようだから分娩が始まる前の(つまり子宮口が閉じている時)ことだからやっぱり違和感がある。。。
太田英伸 著「おなかの赤ちゃんは光を感じるか」によると
お母さんが日中に光を浴びることで夜中、メラトニンというホルモンが放出される。
そのメラトニンが胎盤を通過して胎児に運ばれることで、光を感じているという。
そうして光を感じることで子宮内の胎児の生体時計は整えられるそう。
すなわちサーカディアンリズムはおなかの中にいるときから働いていて、
それが乱れると胎児の体重増加不良や早産の割合が増える。
夜勤のある看護師さんや時差ボケになりやすい客室乗務員の妊婦さんに見られ深刻である。
そういえば少し前に、夜勤と流産には相関があるというニュースもありましたよね。
なんと法律では妊婦の夜勤が禁止されていないので、甚だひどい話だと思うのですが。
職場に遠慮せずに妊婦さんは自分と赤ちゃんの身体を一番に考えていいはずです。
また光を浴びること以外にも、規則正しく食事を摂ることでさらに補強されるそうです。
光だけでなく他の方法でも補強できるような仕組みになっているほど、きちんと生活リズムを赤ちゃんに伝えることは大切で、発育に大きく影響を与える。
コロナの影響で引きこもりがちな妊婦さんも増えていると思うけれど、
人混みを避けた上でお外の光を感じて、もしあまり予定がなくとも生活リズムの整った生活ができるようにしてほしいなぁと改めて思いました。
さて本題の娘の胎内記憶に戻ると。
「あっちがわがあかるくなくてこっちがわはあかるい」はやっぱり不思議のまま。
間接的に光を感じることはあるけど、同時に明るい方と暗い方があることを知覚するという説明にはなっていないなぁ…。
ちなみに目の細胞的には妊娠40週以前から波長によっては光を受け取ることができるそう。
映画ギフテッド
久しぶりに映画を見ました。
10億人に1人という「天才」の頭脳を持つ女の子を、どのような環境で教育するか
”ギフテッド”と呼ばれる ずば抜けてIQの高い人たちは、
小さい頃に「生きづらさ」を感じることが多いという。
「頭がいい」と褒めることなんかよりも
「あなたがあなたであることが何より素晴らしい」という存在全てを受け入れてもらえる安心感をあげることが、一番に優先されてほしいと気づかせてくれる映画。
簡単な言葉で言ったら「愛」なのだけれども、それを伝えるにはどうするか。
一番の養育者である叔父がそれを伝えるためにとった行動は、ある病院に連れて行くことだった。このシーンが一番泣けました。ぶわっと。
こういった「愛」を伝えるお手伝いができる仕事はやっぱり素晴らしい。
教育だとかあるいは療育だとか、「普通」から少し外れた子への働きかけは色々あるだろうけど、どんな子にも漏れなく必要なことはこういう「愛」をブレずにしっかり伝えてあげることであって、小手先で何かやったからそれでいいっていうことはないんですよね。。
私には何ができるかな、といろいろ考えてはぐるぐるとしています。
スリーピングドール作り方まとめ 備忘録
大切なお人形が我が家にやってきました。
世界で初めてシュタイナー教育に基づいた保育園を開いたという
バーナデット・ライチェルさんの本。
「0歳からのシュタイナー」ということで、未就園児が2人いる我が家には
なにか子育てのヒントがあるかも…、と思って読んでみました。
この本に出てくる、子どもの最初のお人形ー「眠り人形」がずっと気になっていました。
我が家は長女用に作ったウォルドルフ人形がありますが、
ウォルドルフ人形はもう少し大きくなってからの子のためのものと作った後から知って、
段階を踏んで作ってあげてみたかったなぁという思いが頭の片隅にありました。
眠り人形についてネットやインスタグラムで調べてみると、とっても可愛らしくて、
(「スリーピングドール」で調べたほうが沢山でてきます)
作り手の想いが宿っていて素敵だなぁ〜とますます興味津津に。。
眠りに誘うお人形だから安心させてあげられるピンクか、夜に刺激にならない青系か、
あまり派手でなくて、、どんな色でつくろうかなぁ〜…と妄想を広げていました。
そんな時、ちょうどピンクのカシミヤ100%のストールが破格で手に入り、
この触り心地、、これは作るしかない!と思い。
なんとかかき集めた情報をもとに作ることにしました。
本当はきちんと熟知した人から学び、直接同じ場を共有して手ほどきを受けることが大切だと思うのですが、子どもの成長は待ったなし…、そしてコロナな時代、師を尋ねることも難しそうです。。。
そうして作りましたので以下、備忘録です。
*本の中では、単一の材料で作るため中も羊毛、布もウール、できるだけ天然素材で
廃物利用かリサイクルのもの、とあります。私が調べたところでは、お母さんが着ていた
セーターなどをリメイクして作ると、お母さんのにおいもついていて安心させてあげられるようです。
*お人形の中にはラベンダーのポプリを。調和と平和の香りで子どもを包みます。
*ポプリはお胸のあたり。手と胸でハートをつくったときの真ん中に入れてあげる。
(我が家のはずり落ちて足元になってしまいました…羊毛に縫い止めたほうが良いのかなぁ…。)
*お母さん代わりのお人形で、お昼寝や夜にベッドで「眠るため」使うもの。
作り方を一番参考にさせていただいたのはこちらです。
こちらのサイトでは中の羊毛を長さ(cm)で書いてあるのですが、
重さにすると我が家は 頭の芯におよそ10g、芯を包んで身体になる羊毛をおよそ30g
で作りました。巻き方や身体のボリュームによってはもう少し多くてもいいように思いました。実際の保育園ではどのくらい使って作られているのか、知りたいところです。
帽子は高さ15cm、頭囲はお人形に合わせて作りました。
縁には玉止めのような、フレンチノットステッチの刺繍がひとつひとつ丁寧に施されているものが多いようです。
これにもちゃんと意味があるものだと思うのですが、きちんと詳しい方に聞いてみたいです…。
帽子の刺繍と胸のバンドの糸は虹染めをしたウール100の毛糸をつかいました。
このあたりもどんな色で、どんな素材で…と考えると楽しそうです。
手紡ぎの糸なんかでできたら、また温かみがありそうです。
*
このお人形、「こどもの初めてのお人形」ということで
最初は0歳の次女用にひとつだけ作ったのですが。
長女は次女が生まれてから寝るときは私のすぐ隣で寝ることができず、
伸ばした手を繋ぐだけで寝ることになり。それを思うと、長女にこそ必要に思えてきました。
(次女が生まれる前は私の上にのってぴったりくっついて寝ていました^^;)
最近夫の実家へお邪魔すると「おばあちゃんとねるー」と言っておばあちゃんのお布団に入ってみては、少しすると「やっぱりおかあさん」と言って戻ってくることが何度かあり、もしかしたらそんなときにも「お母さん代わりの眠り人形」があったら活躍するのかもしれないな、と思いました。
そういうわけで2つのお人形が我が家にやってきました。
長女はさっそく寝る時にお人形も一緒のお布団に入れて、
「いいにおい。」「みんないっしょにねたらきもちいいよ」といって使ってくれました。
次女はにぎにぎとしてから、ぶんっぶんっと振ってみて、そのあと にこ〜^^ と笑いました。
どうか子どもたちの大切な眠りを、守ってくれますように。
子育てと詩
最近勉強させていただいている中で、大村祐子著「シュタイナー教育に学ぶ通信講座③家庭でできるシュタイナー教育」と出会いました。
中でもハッとさせられたことが
「畏敬の念」を持ち、それをわたしたちの生活の基調とすること、
こどもの全存在に「畏敬の念」を持つこと・・・
以前娘の胎内記憶を池川先生に報告したときに素敵なお話を聞いて
子どもが今目の前にいることの素晴らしさを実感していたのに、
最近すっかり色々言い訳をつけてそういった気持ちが追いやられていた事に気が付きました。
この本の中では畏敬の念をわたしたち親の内に育てるためにシュタイナーのことばが紹介されています。
*
「親が子どもに向かって語ることば」
あなたの中に 光が流れ
あなたが 光で満たされますように。
わたしは 熱い愛をもって
あなたの心が働くようにと祈ります。
わたしが喜ぶとき その喜びが
あなたを励まし
あなたを引き受け
あなたを清らかにしますように。
わたしはあなたが歩む人生の道のりに
わたしの喜びをふり注ぎましょう。
わたしの喜びが
あなたの生命の中の意志に働きかけ
あなたの意志の強さの中で
また 世界の中で
いつも
あなた自身をとおして
あなたを見出すように
*
この詩は「成長を支えるシュタイナーの言葉」という本でも紹介されているのですが、
そちらにもとても心に響くことがありました。
*
疲れに押しひしがれているのが、目下のところの気持ちです。でも、そんなわたしの内にも、この言葉は、毎晩変わらず響き入ってきて、目の前にいる小さな子どもの柔らかさと明るさに目を向けさせてくれましたー
*
本当にそうだなぁと思えるようになったのは、
このことばを寝かしつけのときに唱えるようになってしばらく経ってからです。
娘の方から、「あのおいのりのお話して。」と言ってくれるようになったのです。
「このお話好きなの。」と言います。「おかあさんも好きだよ。」と話しているうちに、
まさに目の前のこどもの柔らかさと明るさに、気が付かせてくれていました。
きっと娘は、この詩を唱えているときのわたしの呼吸が自然とゆっくりになることや、
自分に向かい合って大切に関わってくれていることが伝わってきたから、
この詩を読んでほしいとお願いをするのだと思います。
こういった大切な時間をもたらしてくれる詩に、ほんとうにありがたく思います。
こどもに畏敬の念を持ちましょうとは、
頭で理解していても、実際には子どもの誤りを正さなくてはいけないときもあるし、
甘やかしてはいけないときもあるし、
怒りたくなくても言うべきことを言わなくてはいけないときが一日の中でもたくさんあって、
つい感情に任せてしまいたくなることが、何度も繰り返し起こるものだと思います。
夜になって振り返って冷静に数えてみれば、片手の指で収まるくらいの数なのだけど。
実は保健師をしていたときに、イライラしてしまうお母さんに対しては
「危険なこと以外はそんなに怒らなくても」というのがよくある対応方法だったのですが…
自分が子どもと毎日を暮らすようになって、それがどれほど大変なことか!とツッコミを入れたくなったのです。
危険でなくたって子どもの要求にすべて応じていてはいけないこともあるし、
応じられない状況もあるし、
怒らなくても大丈夫といわれても、怒り以外で頭を使ってかわしていく方法がなかなか思いつかないような、頭の働かないときが、下の子の夜泣きに付き合っているような生活ではよく訪れます。
そんな毎日でも、この言葉を夜寝る前に唱えるときだけはいつも、
ゆったりと呼吸ができて、こどもたちへの畏敬の念を育むことができるので、ありがたいことです。
これはこどものための祈りというより、親のためなんだなあ…。
それが巡り巡って結局は子どもの為でもある…と、最近思うようになりました。
「巡り巡って子どものため」からちょっと話が飛びまして、
悩みに悩み通した幼稚園選び…
こちらの動画、共感が多すぎて。
インターナショナルへの違和感もすごくよく分かる‥‥。
「実はそれが正解」という言葉に安心し、
やっぱり私が納得できるまで悩もうと思えました。
財産といえるもの
青銅婚式でした。
「○○婚式」という呼び名が金と銀以外にもあることを数年前に知って、
毎年なんとなく呼び名を調べています。
今年はむすめたちを預かっていただいて、出会った頃よく行っていた小さなお店でお祝いしました。
出会った頃から夫には「人生のリハビリ」をさせてもらっているような感覚が、
ずーっとあります。
常に考えることの楽しさを教えてくれたり
特別なことをしなくても、身近なものや素朴なもの、自然のなかから
楽しさや美しさを見つける力があったり
先入観なく人を見つめることができたり
「自分」をしっかり持ちつつ周囲と調和して、人のためのことを考えられたり。
惚気のような話になりますが、夫と結婚できたことが私の人生の中で一番良かったことです。
それまで先入観だらけで人と関わっていた私は、当時はぶつかることもあったのですが。
年を重ねるほどその大切な力を教えてもらってきたと思います。
こういった力、きっと小さい頃から大切に育まれてきたのだろうなぁと日頃から感じます。
「育て方とか、教育法だとか、そんなことは関係ないよ。自分は自分の意志で、自分で考えて、こういう人間になったんだよ。」と夫は言います。
いや…だから、そうやって言い切れてしまうところあたりが、まさに「そういうこと」なんだってば…!と私は思います。
自分の意志がもてずになんとなく過ごしている大人のどれほど多いことか。
こういった数字や点数では評価しようのない、大切な力があることは、本当に人生の財産だと思います。
幼児教育でも「IQよりEQだ」「非認知能力を育てよう」と今でこそ盛んに言われ始めていることだけれども、小手先だけの教育や技術ではとても育たない、家庭で大切に育まれてきた力なのだと思います。
自分もこどもたちにそういった「財産」といえる力をちゃんと残してあげなければ。
と、改めて感じた結婚記念日でした。
財産といえば、小さい頃いっしょに住んでいた祖母が
「あなたたち孫が本当にわたしの財産だ」と真剣な顔で言ってくれたことを思い出します。
ありがたいなぁ。祖母に夫を紹介できなかったことだけが心残り。
うまれたときのこと
11月は児童虐待防止推進月間だそうです。
子供を性暴力から守ろうという取り組みで、パンツザウルスというものを教えていただきました。
イギリスの虐待防止協会によるもので
プライベートゾーン、最近では水着ゾーンと呼ばれるところは人には見せない、
嫌と思ったら「NO」とはっきり伝えよう!ということを伝える取り組みで、
パンツザウルスのキャッチーで明るい雰囲気がいいなと思いました。
最近たまたまシュタイナー学校における性教育はまずは「愛情」を伝えることから始める
という話を聞いて、なんて素敵なのだろう、と思い色々と調べてみたら
幼児期に育てたい感覚の1つ、触覚。
次女の妊娠・出産だったりで長女を抱っこしてあげられることが減ってしまったけれど、
ハグはたくさんしようと意識していたりします。
機会あって性教育の教室を長くやっている助産師の恩師に、幼児期に生まれたときのことや自分の身体を大切にすることの重要性を教えていただいて、そういえば我が子に伝えていなかったと思っていました。
そんなある日、朝起きてお布団の中で娘たちとのんびりとしていたら
「長女ちゃん(名前)どこからうまれてきたの?」
そういえば最近この質問よくされていました。「お母さんからだよ」としか伝えていなかったなぁと思って、もう少し詳しく教えてあげたところ、待ってましたと言わんばかりに生まれてきたときのことを話してくれました。
「こういうの(両手で穴をつくる)から出てきたんだよ。足でヨイショってして、あたまをうーんって。(お布団を被ってから頭を出す)向こうは でんきついてるなーって思ってこうやって(手で指差しながら回旋するように腕を捻って)。」
「大変だった?」と聞くと
「うん、でもねー、上手に出てきたよ。」
その自信を持って誇らしげに話してくれる姿がもう愛おしくて。
「すごいよーえらいね、うれしいよー」と話すと
「なみだでそう?」と長女。笑
うんうん、と言いながらハグ。
胎内記憶もすごいなぁと思っていたら、生まれるときのこともしっかり覚えていたようです〜。しかも腕を捻って出ていく説明なんて胎児の第2回旋、第3回旋の解説そのものでした。
びっくり嬉しい。
ふだん初めてのことに直面すると「できなーい」と泣いたり「おかあさんがやって。」とモジモジしたりする長女。
きっとうまれてくるときも不安いっぱいだっただろうに、、本当に頑張ったんだなぁ。
そして上手にできたことがすごく嬉しかったんだろうなぁ。
ありがとう。感謝しかないです。
出産のとき赤ちゃんって本当に頑張って生まれてくるんですよね。
お母さんももちろんだけど、赤ちゃんが生まれようとしてくるってすごいことだなぁと
改めて考えさせられます。
その後リビングに来てから聞いたときは、目に入ったことを適当に話すだけで教えてもらえなかったので、きっとタイミングよく話が聞けたんだなぁと思います。
そしてまた別の機会のときに「本当に大切なものっていうのはあまり人に見せるものじゃない。だから下着で隠れるところは人に見せないのよ」ということを伝えたところ…。
耳掃除をしようと夫が長女の耳の穴を見ようとしたら、耳掃除されるのが嫌いな長女は
「だいじだいじだからみちゃだめなのー!」
とうまいこと使われてしまいました笑。