子育てと詩
最近勉強させていただいている中で、大村祐子著「シュタイナー教育に学ぶ通信講座③家庭でできるシュタイナー教育」と出会いました。
中でもハッとさせられたことが
「畏敬の念」を持ち、それをわたしたちの生活の基調とすること、
こどもの全存在に「畏敬の念」を持つこと・・・
以前娘の胎内記憶を池川先生に報告したときに素敵なお話を聞いて
子どもが今目の前にいることの素晴らしさを実感していたのに、
最近すっかり色々言い訳をつけてそういった気持ちが追いやられていた事に気が付きました。
この本の中では畏敬の念をわたしたち親の内に育てるためにシュタイナーのことばが紹介されています。
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「親が子どもに向かって語ることば」
あなたの中に 光が流れ
あなたが 光で満たされますように。
わたしは 熱い愛をもって
あなたの心が働くようにと祈ります。
わたしが喜ぶとき その喜びが
あなたを励まし
あなたを引き受け
あなたを清らかにしますように。
わたしはあなたが歩む人生の道のりに
わたしの喜びをふり注ぎましょう。
わたしの喜びが
あなたの生命の中の意志に働きかけ
あなたの意志の強さの中で
また 世界の中で
いつも
あなた自身をとおして
あなたを見出すように
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この詩は「成長を支えるシュタイナーの言葉」という本でも紹介されているのですが、
そちらにもとても心に響くことがありました。
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疲れに押しひしがれているのが、目下のところの気持ちです。でも、そんなわたしの内にも、この言葉は、毎晩変わらず響き入ってきて、目の前にいる小さな子どもの柔らかさと明るさに目を向けさせてくれましたー
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本当にそうだなぁと思えるようになったのは、
このことばを寝かしつけのときに唱えるようになってしばらく経ってからです。
娘の方から、「あのおいのりのお話して。」と言ってくれるようになったのです。
「このお話好きなの。」と言います。「おかあさんも好きだよ。」と話しているうちに、
まさに目の前のこどもの柔らかさと明るさに、気が付かせてくれていました。
きっと娘は、この詩を唱えているときのわたしの呼吸が自然とゆっくりになることや、
自分に向かい合って大切に関わってくれていることが伝わってきたから、
この詩を読んでほしいとお願いをするのだと思います。
こういった大切な時間をもたらしてくれる詩に、ほんとうにありがたく思います。
こどもに畏敬の念を持ちましょうとは、
頭で理解していても、実際には子どもの誤りを正さなくてはいけないときもあるし、
甘やかしてはいけないときもあるし、
怒りたくなくても言うべきことを言わなくてはいけないときが一日の中でもたくさんあって、
つい感情に任せてしまいたくなることが、何度も繰り返し起こるものだと思います。
夜になって振り返って冷静に数えてみれば、片手の指で収まるくらいの数なのだけど。
実は保健師をしていたときに、イライラしてしまうお母さんに対しては
「危険なこと以外はそんなに怒らなくても」というのがよくある対応方法だったのですが…
自分が子どもと毎日を暮らすようになって、それがどれほど大変なことか!とツッコミを入れたくなったのです。
危険でなくたって子どもの要求にすべて応じていてはいけないこともあるし、
応じられない状況もあるし、
怒らなくても大丈夫といわれても、怒り以外で頭を使ってかわしていく方法がなかなか思いつかないような、頭の働かないときが、下の子の夜泣きに付き合っているような生活ではよく訪れます。
そんな毎日でも、この言葉を夜寝る前に唱えるときだけはいつも、
ゆったりと呼吸ができて、こどもたちへの畏敬の念を育むことができるので、ありがたいことです。
これはこどものための祈りというより、親のためなんだなあ…。
それが巡り巡って結局は子どもの為でもある…と、最近思うようになりました。
「巡り巡って子どものため」からちょっと話が飛びまして、
悩みに悩み通した幼稚園選び…
こちらの動画、共感が多すぎて。
インターナショナルへの違和感もすごくよく分かる‥‥。
「実はそれが正解」という言葉に安心し、
やっぱり私が納得できるまで悩もうと思えました。