ついたて作りました②

我が家には今まで木製プレイスタンド(ついたて)がひとつありました。

それはこちらに…

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車に見立ててみたり、机にしてみたり、

前の家では丁度いいところに手すりがあったので、そこから布をかけてゆりかごにしたり…

色々なあそびはしていたのですが、そこまで大活躍!という感じでもありませんでした。

 

ところがシュタイナー幼稚園に入ったら、このついたてで遊ばない日はない!

というくらい、このついたてを自分の好きなように運んで空間を作って、

本当に朝から晩まで、建設ごっこをするのが大好きになりました。

ついたてを使った遊びのヒントを幼稚園で得て帰ってくるのか、

それともたまたまそういう成長の時期だったのか分かりませんが…。

 

そんなある時長女が、

「ついたてもうひとつほしい。つくって。」

「このおうちではもうひとつないと布がかけられないじゃない?」

「長女ちゃんテントにしてあそびたいの。」

 

そうだよねぇ、そうだよねぇ。私もほしい。。

ということで二台目、夫にお願いしたら作ってくれました。

ひたすら感謝、尊敬です。

 

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奥が旧(ハンノキ)。手前が新(ブラックチェリー)。

今回は、念願のブラックチェリーです。

「自分で作る分費用が抑えられるのだから、樹種にはこだわりたい」と夫。

 

ただ、ブラックチェリーは重いのです。

前回ハンノキで作ったものは棚が上下に2枚ついておよそ5.3kgほど。

同じデザインでブラックチェリーの木材を注文しようとしたら、削る前の板でどうやら10kg近くになりそう…。切り出して削っても、8〜9kgくらいになるかも?

 

自分で空間を作るのが楽しそうだから、長女の力でも持ち運べる重さが良い。

 

悩んだ末、下の棚はつけずに上の棚1枚だけにして軽量化。

そして上の棒。前回は穴を開けたところに丸棒を通しただけだったのですが、

棚が1枚だとその作り方では絶対左右にグラグラと揺れてしまいます。

そのため細長い板を縦に付けて、左右の外側になにか引っ掛ける用のフックや棒も無くしました。

 

デザインのイメージをしたのはのいとどさんの「ついたてNo.13」です。

ついたて詳細13 of のいとど

本当に美しいデザインです。

 

重さは6.5kgほどに抑えることが出来ました。

長女は「おもーい」といいつつ運べる重さ。

そして何故かついたてによじ登って遊ぶのが好きな次女は、ハンノキの方のついたてを倒しそうになって危なかったので、かなり丁度いい重さになりました。

 

 

しかし木工好きの夫といっても素人の手によるもの、どれだけ二人で注意して組み立てても、ガタツキはでてしまいました。底にフェルトを貼ってガタつくのを抑えています。

(わたしの引いた線がずれていた可能性大)

プロにお願いしたほうが質が高いのは絶対確かと痛感していますので、我が家のはご参考までに!

 

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やっと布がかけられました

それからこの建設ごっこにおいて、去年サンタさんがくれたwobbelも大活躍!

バランスボードとして遊んだり、積み木や線路と組み合わせても楽しいのですが、

最近は建設ごっこのドアとして利用されることが多くなりました*

 

わがやのおだんごぱん

長女がいつも以上に楽しそうに幼稚園から帰って来た日。

「おじいさんからも〜おばあさんからも〜うさぎさんからも〜きつねさんからも〜」と

鼻歌まじりのごきげんな声が自転車の後ろの席から聞こえてくる。

 

その日は幼稚園で初めて素話を聞いた日だったらしく、ロシア民話「おだんごぱん」の話だったことを先生から教えていただく。

 

おだんごぱんは推薦絵本でもよく出てくるし、気になってはいたものの、なんとなく娘にはまだ読んだことがなかったお話。

初めて聞くおだんごぱんが、先生の語りで聞けてよかったなぁと嬉しく思いました。

 

その日、寝る前に電気を消したら「おだんごぱんたべたい」と長女。

「夜寝てる間にお母さん作っておいて。明日食べたいから。」と宿題を出される。

 

えーどうしよう。

 

おだんごぱん…。どうやって作ろう…。

夫は「ロシア民話なんだから絶対ピロシキでしょ。」

娘は「おさとうがいっぱい入った、あまーいパン。」

私は「とにかく素朴で、ほんのり甘いしっとりパン。」

 

ほらー、家族の間でもこんなにイメージするものが違う。

 

それぞれの頭の中で「おだんごぱん」を描くのが、語りの良さなのに。

「はい、これがおだんごぱんですよ」と正解を与えるようなことしたくない。

 

 

色々悩んだ末、その日の夜には作れず。

次の日の朝、やっぱりちゃんと宿題のことを覚えていた娘に話して、

お話の中のものとは違うかもしれない、

「今おうちの中にあるもので作った、丸く焼いたもの」を

我が家のおだんごぱんと呼ぶことにしようと無理に結論。

 

 

「粉箱を引っ掻いて集めた粉」からイメージして茶色くなるように全粒粉100に、

家に残っていた蜂蜜と牛乳を混ぜて作りました。

 

窓辺でふわ〜っと冷やして、逃げられる前に食べました。

 

12個も焼いたのに、あっという間に家族4人で10個売れました。

食べすぎじゃ…。

 

 

 

きのやさしめ

都心から少し離れて、長女はどんどん木登りが好きになっている様子です。

 

都会の中にも公園はたくさんあるし

なるべくそういう場所へ連れて行って自然に触れているつもりだったのですが、

新たな住まいの近くの緑地へ行ってみたらびっくり。

 

保育園の子たちがみんな木の上で遊んでいる!

 

そう言えば都会の公園では低い枝は切られて、木登りができない高さの枝しかなかった。

木登りしているのは庭師の方くらい。

 

 

一方都心から離れて、幼児でも手が届く、太さも丁度いい枝にみんなで腰掛けて遊んでいる子どもたちを見て、長女も「たのしそう」と感じたようです。

これは大人が子どもに木登りを促すより一番いい導入ですね。

 

はじめは親が手を繋がないと登らなかったのが、

だんだんと自分でも登れそうな場所を見つけて、1人で「いける」と思うところまで登っていくようになりました。

 

そして木肌にほっぺたをくっつけながら、

「木 きもちいいよ〜気持ちくてご飯みたいに包まれちゃう。木の枝いーにおい。」

「木のやさしめ(やさしさ、のことかな)が長女ちゃんのなかにはいってくるよ。やさしいよ〜って。お家まで持って帰ろうね。」

 

とじんわり話していて、こちらまで暖かい気持ちになりました。

 

感じたことを話さずにうちに留めるタイプの子もいると思いますが、

長女はこういう感じたことを言葉で伝えたい気持ちが大きいのか、

いろいろな気持ちをお話してくれるタイプで本当に一緒にいて楽しいです。

 

 

なんとなく木登りに対して、頭の隅に「野生」とか「やんちゃ」とか「野蛮」なんてイメージを勝手に今まで持ってしまっていた自分にも気が付き、とんでもない誤解だったと学ばせられます。

 

木からこんなにたくさんのことを受け取ることができるなんて、木登りすごい。

 

前に読んだ安野光雅さんの「かんがえる子ども」にあった”自然に「触れる」のではなくて、自然と「一緒にいる」”ってこういうことかなぁと娘を見ながら思いました。

 

お気に入りの緑地が見つかったけれど、早くも1歳の次女はいくつか蚊にさされていました…。虫の少ない季節は本当にあっという間ですね…。

 

 

 

時間はこびとさんが教えてくれる

新居のネットがつながらず、文章だけの投稿です。

スマホのギガ数はあっというまに消費してしまい

調べ物は超低速モードで検索しております。。。

 

 

幼稚園の慣らし保育、感動することが毎日あって、本当にこの幼稚園にお世話になることが出来てよかったーと思う日々です。何よりイキイキ、キラキラとして園から帰ってくるのでこちらも心が洗われます。

 

とくに感動した話は時計とこびとさんについてです。

 

幼稚園に通い始めて1週間ほど。長女がいいました。

「ようちえん には とけい がないんだよ。なんでかな。」

 

数で区切られた時間という概念を知る前に、流れる「時」というものを

身体を通して感じてほしいという意図から敢えてそうされているのだろうなぁと思いつつ、

なんて答えようかと考えていたら、長女のほうから

 

「こびとさんが なんじだよっておしえてくれているのかな。」と話してくれました。

 

ただ可愛いな〜という発言ってだけじゃなくて、

そう思わせてくれている先生の保育が、ものすごく素晴らしいな〜と思いました。

 

家ではついつい時間に追われて、私は時計ばかりを見てしまいます。

 

娘の話から想像する園での様子は、異年齢の子たちとの自由な遊び、ライゲン、お話、お祈り、おやつ…

と、たった数時間の慣らし保育の間にたくさんの充実した行いがあるようです。

娘はのんびり、のびのびとした様子で帰って来ますが、

その裏には大人がしっかりした段取りで保育をしているんだろうなぁということが伝わってきます。

 

しかも、時間に追われずに。というか、時間に追われていると感じさせずに。

「こびとさんがこっそり先生に教えてくれてるのかな」と思うくらい、

園を流れる時間に、娘はゆったり身を任せてもらっているのだな〜と思うと、

先生方にただひたすら感謝の気持で手を合わせて拝みたくなります。

 

娘の祖母さんもこういうことが自然にできる人です。

見習わなくちゃーと勉強になります。

 

この話にとにかく感動した思いを先生に伝えたら、そのお返事がまた感動なのです。

 

私は先生の保育がとにかくすごいと思って感謝の気持ちで伝えたのですが、

「園のこびとさんの存在を早速感じてくれて嬉しい限り」

「目には見えないけれど、こびとさんがどこかで自分たちに働きかけてくれていると親しみを感じている」

というお返事。

 

本当に子どものことをよく考えてくださって、

愛情を持って接してくださっているのだなぁと改めて拝みたくなりました。

 

 

娘たちは新居近くの緑地で木登りをするのが好きになりました。

都心から少し離れて、自然との一体感を感じ始めてくれています。

このあたりもまた今度ここに書けたらと思います。

 

良い1日を!

イースターのにじのたまご

長女が幼稚園の慣らし保育で、ウサギさんがお庭にかくした卵をみつけてきてくれました。

 

 

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かわいいたまご

 

娘は持ち帰ってきた卵をやさしく手のひらで転がしながら、

「にじのたまご」と名前をつけていました。

虹色で本当にきれいです。

 

実は我が家でも穴を開けて洗った卵の殻に羊毛を巻いて、石鹸水でフェルト化して作ってみたのがあったのですが、すぐに中の殻が割れてボコボコになってしまいました。

 

娘が持って帰ってくれた卵をしげしげと眺めて、

一回白い羊毛で包んでから色の羊毛を薄く巻くと、均一で見た目も綺麗だし、強度もでるのか〜!と、癒やしと学びを得ています。こんなお持ち帰り、楽しすぎて嬉しすぎる…。

 

 

このたまご、持ち帰り用に優しく布に包んで紐で結いて、

「ウサギさんの卵、そぉっと持っていってあげてね」と先生に教えてもらっていました。

 

「物を”そぉっと”扱う」ということを、こんなに楽しく優しく教えてもらえるイベント、

うれしいなぁ〜。

 

まだまだ全然日も浅く、ほんの数時間の慣らし保育ですが、

早くもこの園にお世話になることが出来て本当によかったなぁと感じています。

 

自分が昔に通った幼稚園での”そぉっと”を習う時間は、お茶の時間でした。

立てた抹茶をいただくのですが、「失敗しないように」と身体の固くなる時間だったなぁ。。。お茶菓子がいつも楽しみでした。

(担任の先生は優しくて大好きだったので、その園に通えたことは良かったです)

 

 

さて私はクリスチャンではないですし、信仰深い人間でもないのですが、

私たちが挙式をしたときに立ち会ってくださった牧師さんがイースターに寄せていた言葉が良かったのでここに紹介します。

 

イースター(復活祭)は、キリスト教にとって大切な1日。

この日は、神様の愛の灯が、死でさえも乗り越えて、私たち一つひとつの命に届けられることを祝う日です。神様の愛の光に届かないところはありません。これ以上に大いなる愛はありません。その愛を受けて、私たちも、天秤にかけて判断するのではなく、本当に価値あるもの・一番大切なことを選び取っていきましょう。

 

子育てにおいても、ついつい天秤にかけて優先順位を決めがちだけれど、

本当に大切なのは何か、(極端かもしれないけど)もし明日自分が死ぬとしたらその選択はするのか?

 

意識的に考えて暮らしていきたいです。

 

 

 

公園のおともだち

先日読んだ小説「対岸の彼女」(文春文庫 角田光代著)のなかで、「公園難民」という言葉を初めて知りました。特定の友達が見つけられず、複数の公園を転々とする状態を指すそうです。

少し前まで私も、この状態は分からなくないなぁという具合でした。

公園で会う他の親子さんたちとは、当たり障りなく、ほどほどで関わって時々挨拶を交わす程度…というものでした。

 

 

ところが娘がある時、のりもの好きをきっかけに、スッと人の心に入ってくるような、

素直で優しく楽しいお友達を見つけてきました。どうやらうまがあったようです。

 

もちろん発達途上の子どもに当然ある、物の取り合いやお互いの要求のバランスのとり方が分からない事態…ということは沢山ありました。

 

でも人との関わり方を学ぶのは、人と関わることでしか育たないということを先の記事で書いたように、とくに子供同士でのやり取りを通して学べる機会を頂けたということはとてもありがたいことでした。

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要求と要求がぶつかった時に、

単に「どうぞ」「いいよ」「ありがとう」「ごめんね」の定型文を言い合うのではなく、お互いの丁度いいバランスや距離感を模索して…

最近では二人でブランコに乗って、前後ではなく横に揺れながら(ブランコは傷めそう。公園管理の方ごめんなさい)何やら楽しそうに話している。

相手が話し終わったら話し、笑い合い、同じ波長で程よい距離を保って。

(シュタイナーでいう均衡感覚といえるのかな?均衡感覚って、下位感覚のなかでも理解するのが難しいです。こちらの方の考え方なるほどなと思いました。

◎シュタイナーの復習-③均衡感覚。これが面白い。「間」を感じる感覚。時間の間、空間の間、心の間。二つのものの間。そして、「間」とは「魔」。 : 日本語教師でサブスリー

 

言いたいことは言い合うけれど、でも「同じ時と場を共有したい」と思える仲間に出会えたことは、保育園や幼稚園にも習い事にも、まだどこにも通っていない娘にとって、本当に幸せなことだと思います。

 

 

 

公園における友達とは、なんとも難しいものと思いませんか?私だけかな。

「保育者と多数の園児」という関係とはまた異なる、保育士や先生といった第三者的な人が不在で親子同士だけの関係。

 保育者にはある一定の子供との関わり方というものがありますが、親はそれぞれです。

公園につくなりベンチに座りスマホから目を離さない方もいれば、

「あれで遊ぼう」「これで遊ぼう」「あれは駄目」「これは駄目」となにかと子どもの先回りをする方など、

実に多様な方がいらっしゃいます。

(子育て方針はそれぞれあってよいと思うので、良い・悪いと評価を下すつもりはありません。なぜなら「保育」という学問的な領域ならまだしも、「子育て」という分野においては、正解も不正解もないと思いますので。)

そういったこともあり、公園難民という言葉が生まれるには正直私は頷けます。

 

なんとも言えない絶妙なバランスを、親も模索する不思議な関係がある中で、

こんなにたいせつなお友達に出会えたこと、貴重な経験をさせていただいたことに、心から感謝したいです。

 

 

チョコをもってきた

長女が話してくれた不思議なうみのおはなし、

胎内記憶について以前ここに書きました。

 

 

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その後も何度かこのうみの話をしてくれていました。

このお話をしてくれる時、いつも一貫して言っているのがチョコのお話。

 

 

「うみのおあばちゃんがくれたチョコをお外にもってきて、おかあさんにあげたんだよ。」

 

 

はじめは気に留めていなかったのですが、

長女の生まれてから3〜4ヶ月ごろの写真を見返していたら、まだ赤ちゃんの長女がたくさん声を出している動画がありました。そういえばこの頃、声を出して何かを一生懸命に伝えようとしていると感じたことがありました。何かを私に伝えるために生まれてきたんじゃないかな、と思うほど一生懸命におしゃべりしていました。

 

そんなことを思い出したら、チョコの話が気になってきて。

もしかしたら何らかの使命を持って生まれてきたのかもなぁなんて思うようになりました。

 

そう考えていたらまた長女が

 

「おかあさんにチョコを持ってきたの。寂しくないようにあげるんだよーってうみのおばあちゃんがいってたの。」

「うまれたらたのしいよって うみのおばあちゃんが教えてくれたんだよ。」

 

なんて言うので、へぇえ〜!と驚いてしまいました。

うみのおばあちゃんって、優しく抱っこしてくれるだけじゃなくて

大切なことを色々教えてくれる人だったのか…

 

 

前回までの話を池川明先生に報告したときも、「きっとまた話してくれると思うので、また教えて下さい」とおっしゃっていたはず、と思って早速また報告してみました。

 

 

先生曰く、「チョコ」という言葉で話す子は今までいなかったのだそう。

なんだろうな、それはお母さんを幸せにするものなんですね。と。

 

 

幸せ、そうか〜私や他の誰かのことを幸せにするために生まれてきたんだよ〜と赤ちゃんだった頃の長女は一生懸命教えてくれていたのかもしれない。

信じる信じない、嘘か本当か、という話ではなく、

純粋に面白いですね。一生懸命話してくれる姿を見ると真実だ〜と思うし、

命ってやっぱり不思議。

この不思議さ、子どもを生む前は忘れていたというか、そんなに深く考えてもみなかったなぁ。命の誕生に携わる助産師なのに。

 

色々気づかせて、考えさせてくれる娘に感謝です。